いつまでも忘れられない戦争の話とこれからの平和の話
(広島県観光課から)
こんにちは。杉谷遼です。
前回は表現の不平等と多様性について考えを書かせていただきましたが、
今回は8月6日に書いているということで、原爆と戦争の話について、
自分が平和というものに向き合う原体験のようなことを書いていこうと思います。
目次
1)夏が来ると思い出すこと
2)僕は奇跡のもとに生まれた
3)僕たちは平和を繋いでいけるのか
1)夏が来ると思い出すこと
僕には毎年8月の晴れた日、蝉の鳴き声がアスファルトに響き渡ると思い出すことがあります。
確か小学校5、6年生の時に、今でもあると思うのですが、
祖父や祖母に戦争のことについて聞いてみましょうという宿題が出ました。
実家から30分ほどで行ける祖父母の家にお盆になると親戚同士で集まることが恒例で、
その年も自分は宿題のことは頭の片隅に置いておいて、親戚同士で集まるなかなかない機会を楽しんでいました。
数日して宿題のことを思い出した僕は、まず祖母に戦争について教えて欲しいと頼みました。
祖母は父親を戦争で亡くし、戦後も母と幼い妹を必死で養ってきたこと、当時非常に優秀な進学校を出たにも関わらず、女性というだけで就きたい職業の給料が安く、家族を養うために自分の夢を諦めるしかなかったことを話してくれました。
当時、自分が今の生活を享受できていることがどれほど幸せかわかっていなかった自分は、この話を聞いて自らの豊かさと、この先の人生を自由に選択できる特別さを実感しました。
祖母の話だけでも僕の中では大きな衝撃で、今でも忘れられない話だったのですが、祖父の話はそれをはるかに超えるほどの衝撃でした。
2)僕は奇跡のもとに生まれた
祖父には最初は話したくないときっぱりと断られました。
ですが、その1時間後、うっすらと涙を浮かべながら仏壇の中から1枚の冊子を持って僕に話しかけてきました。
「本当は話したくない。本当は話したくないんだ。あの時のことはもう思い出さないようにしてきたから。でもお前にはこれを伝える義務があると思うから今から話す。」
と、祖父が感情をあらわにしているところを見たことがなかった僕はびっくりしながらも祖父の話を聞きました。
祖父は長崎の生まれで兄弟も多く、豊かではありませんでしたが幸せな家族でした。
戦争が激化する中、祖父にも徴兵令がかかり、家族の元を離れて遠征に出ていた時でした。
8月9日午前11時2分
長崎に原爆が投下され、家に残っていた家族全員が帰らぬ人となりました。
程なく終戦となり、長崎に帰った祖父は涙が枯れるまで泣き明かし、
何かに取り憑かれたように家があったと思われる部分から人骨を探し当て集めたと言っていました。
祖父が仏壇から持ってきた冊子は家族の名簿でした。
こいつは妹でいつも遊んでやってたんだ、こいつはいたずらばっかりでな
これは姉でいつも厳しいんだけど、大変な時は本当に優しかった
あの日が昨日かのように話す祖父の顔は今でもはっきりと覚えています。
それと同時に僕がこの世に生まれてこれたことがどれほどの奇跡か思い知りました。
祖父に徴兵がかからなかったら、遠征の班に配置されなかったら、今僕はこの世に生を預かっていません。
祖母の話も合わせて僕は奇跡のもとに生まれ、そして自由で非常に幸せな人生を送らせてもらっていることに祖父母、家族だけでなく、今まで僕が生まれてくるまでにこの社会のために、日本のために、世界のために働いてくれた全ての人に感謝しなければならないと思うようになりました。
3)僕たちは平和を繋いでいけるのか
そう考えたときに僕はただの受益者ではありません。今までの人類の歴史の恩恵を受けるとともに明日を生きる人のために、10年後を生きる人のために、100年後を生きる人のために日本という、世界という、もっと大きい視点で言えば生命というバトンを受け取ったランナーです。
平和とは
僕はこの世界や生命を背負ったランナーが走る道だと考えています。
それも少し先の道をランナーだった人が作っていく道です。
自分自身がその道を走ることはありません。しかし荒れた道を作れば次のランナーが走れない。
道を作ることを放棄して最後まで走り続けても、次のランナーが走れない。
平和や持続可能性はそんな道のようなものだと考えています。
今、僕たちは確実にここでいうランナーです。
でもすぐに道を作る役割が回ってきます。そのときに僕はいい道が作れるか不安です。
世界のことも政治のことも社会のことも知らないことだらけです。
だからこそ、僕は世界を見ながら、道を作りながら今ある道を走ろうと思います。
Running & Learningという僕の目指す働き方があります。
正に道の作り方を覚えながら、道を作る。平和とは何かを広い世界を見ながら考えながら、実際に作っていく。そんな人生を歩みたいと思います。
最後に
8月6日 8時15分
8月9日 11時2分
この合わせて2分だけでも日本人であれば平和とは、戦争とは、そして今から僕たちが作れる平和とは考えて欲しいというのが今回の記事を書いて見て感じた最終的な思いです。
今回は自身でも感情的だと思いながら思ったことを記事にかいてみました。
拙い記事ですが、読んでいただきありがとうございました。
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