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メカニクスとバイオロジー-複雑化する社会の道標は何か-

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こんにちは。杉谷遼です。

早いもので、今年も残すところわずかになりましたが、今年1年を締めくくる記事としてこの連続記事の最終回を書きたいと思います。

今回の記事は、前回まで2回にわたりお伝えしてきた複雑化が進んでいく社会がどうなっていくのか、そして僕たち自身がどうしていかなければならないのかという連続記事の最終回になります。まだ、前回までの記事を読まれていない方はぜひご覧ください。

ryohsugitani.hatenablog.com

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今までの内容を簡単にお伝えすると、この世界において解決が非常に困難な問題が増えている状況において、「分断」という手法が多く取られていることを最初の記事で書かせてもらいました。そして「分断」では問題の見せかけの解決にしかなっていないばかりか、対象外の問題の解決をより困難にしているだけだという指摘をした上で、「統合」に向かうべきであるということも書きました。

2つ目の記事では、複雑化していく社会の中で、安易に「分断」を選ばないためにも必要な思考法のアップデートとして「決定論」的な思考から「確率論」的な思考に変革していくべきだということを書きました。

このような前置きをした上で、最終回の今回は「分断」ではなく「統合」に向かっていくために、これから僕たちが学ぶべきことについて書いていきたいと思います。

 

目次

1)「確率論」という波に乗って

2)日常を支配する「メカ二クス」

3)複雑性を前にした生物の強さ

4)「バイオロジー」の「統合」へのヒント

5)SDGsのその先へ

 

1)「確率論」という波に乗って

前回の内容と少し被る部分もありますが、今回の記事の位置づけを明確にしておきたいと思います。前回の記事で、複雑性に対応して、「分断」という安易な選択をしないようになっていくために「確率論」へのアップデートが必要ということを書きました。

これはつまり、「分断」というカードを切らないようにするための、新しい基盤の位置づけとして確率論へのアップデートが必要ということです。

多くの人が、現代の停滞感の正体が複雑性に強い確率論へのアップデートが出来ていないことだと認識してもらうことで、これから複雑性に強い人々が増えてくることを期待していますし、現状への問題意識から確実にそのような方向に社会が動いていく波が発生していくと確信しています。

 

今回は、そのような確率論へのアップデートという基盤を基に、どのような方向に社会が進んでいくべきか、そしてその参考となるものは何なのかについて書いていきたいと思います。

例えるならサーフィンにおいて、確率論へのアップデートという社会的な改革の波に乗って、どのような技を決めていくのかという、基盤の上で何を目指していくべきかということを書きたいと思います。また、その結果「統合」の価値が増していくということについても書いていきたいと思います。

 

2)日常を支配する「メカ二クス」

まず本題に入っていく前に、昨今の社会で目指すべきとされてきた「メカニクス」について書いていこうと思います。近代社会の大きな転換点と言われる産業革命ですが、この産業革命を機に、社会には1つの概念が存在感を増してきました。

 

その概念が「効率化」です。

効率的な生産、効率的な運営、効率的な販売、様々なプロセスの効率性が見直され、非効率的なものは悪だと言わんばかりに、特に産業の分野で効率化が推し進められてきました。

これは国際社会にも波及し、国力=効率性であり、武器も商品も効率的に作れる国が覇権を握るようになっていきました。そしてより効率的な環境を目指し、列強の世界進出が始まるというのが歴史の流れです。

この「効率性」を求める流れは現代においても変わっていません。GAFAを始めとしたメガ企業がプラットフォーマーとなり、ヒト、モノ、カネ、情報の巡りをより効率的にして巨万の富を築いています。最も効率を求められる主体が国ではなく、企業になったというだけなのです。

 

ここで教育に目を向けると、社会として育てたい人物は効率的に物事をすすめられる人物になります。その適性があるかをテストなどで測りながら、中学→高校→大学→社会人と階段を登っていくように設計されています。

これは実感値ですが、このような教育の結果、学歴ヒエラルキーで上位にいる人ほど、プロセスを効率化することに長けている人が多い印象を受けます。同じ間違いを繰り返さない、細かいミスに気が付く、同じプロセスを以前より早く回すことが出来るなど、受験という関門を通ることによって、効率化に長けている人をスクリーニングしているのです。

 

この時、人材育成や社会の重要な部分で参考になっているものは「メカニクス」です。いかに社会を効率化して動かしていくか、1つ1つの歯車まで効率的にしていくことで、この社会は回っています。

つまり、教育、ビジネス、社会システムといったあらゆるものが「メカニクス」が支配していると言っても良いかもしれません。僕たちは知らず自らずのうちに歯車として育てられているのです。

 

3)複雑性を前にした生物の強さ

しかし、前回の記事でも書かせてもらったように、複雑性が増していく中で、「決定論」的な思考は後れを取ります。プロセス自体が煩雑化し、いくらそれを効率化しようとしてもいたちごっこになってしまいます。さらに言えば、限界逓減*によって効率化はどんどんと限度に近付いていきます。

*限界逓減:初めは大きな価値を生むが、やり続けて限度に近付くにつれて生める価値が減少していき、最終的にはほとんど価値を生めなくなってしまうという主に経済学で使う用語。最初の一口と満腹に近いときの一口では美味しさが違うなど、多くのことに当てはまる法則。

 

ということは、この「メカニクス」社会によってつくられた、僕たちの「決定論」的なOSは、これから先、どんどんとこの複雑性の変化に対応できなくなっていくということです。

 

では、僕たちは、これからの社会を築いていくために何を参考にしていくべきなのでしょうか。

 

僕は「バイオロジー」が今後の社会の大きな参考になると感じています。

「バイオロジー」、つまり生物、生命の複雑性への適応力は非常に優れています。この地球が誕生してから、様々な変化が起きてきていますが、その都度変化に適応しながら、その系譜を脈々と引き継いできています。深刻な環境問題により、多くの生物が絶滅してしまうかもしれませんが、それでも「生命」は世代を超えて何らかの進化・適応をし、今後も生き抜いていくはずです。

そのような生命の力強さ、そして適応能力の高さは既に広く認められており、実は工学の分野でも生命知に関しての研究などが以前から行われています。例えばGA(Genetic Algorithm:遺伝的アルゴリズム)という手法は、生命の遺伝の仕組みを使って、環境の中で最適なものを発見するなどに利用されたりしています。

 

また他にも、ベストセラーにもなった組織開発の本「ティール組織」の中でも、現代における組織の進化の行き着く先が組織が1つの生命体となっているような組織(=ティール組織)と書かれているように、「バイオロジー」に着目すること自体は決して新しいものではなく、徐々にその注目度を増していることなのです。これは、上で述べた様な「メカニクス」社会の行き詰まりが徐々に認識されているという証左であるとも言えます。

 

4)「バイオロジー」の「統合」へのヒント

そしてこの「バイオロジー」社会へ向かっていくためには、「分断」では到底たどり着けません。

生命はその役割を持ちながらも、お互いに依存・影響・補完をし合い、生態系システム全体で成立しています。

これは最も僕たちが認識できる人体という1つの生命個体を取っても同じことです。臓器などの器官はそれぞれ別の役割を持ちながらも、生命個体を生かすために互いに影響し合っています。どれか1つの器官がなくなっても、人体は機能不全を起こし、最悪死に至ります。これは生命個体を拡張した生態系システムでも同じことです。

つまり、「分断」を行っている限り、僕たちは「メカニクス」社会から抜け出せないのです。「統合」をして初めて「バイオロジー」社会へと移行する準備が整います。

 

また、生態系システムはそこに属する生命個体の多様性がそのまま、そのシステムそのものの強さになります。

以前、多様性に関しての記事でも書いたのですが、多様性がなぜ大事なのかと言われれば、システム全体のレジリエンス(外乱に対して粘り強く、復帰する力のこと)が高まるからだと考えています。例えばコロナのような新型のウィルスが発生した場合に、同じ種しかおらず、その種がそのウィルスに遺伝的に弱ければ、その社会は壊滅します。しかし、多様な種がいれば、その中には確率的にそのウィルスに抗体を持っている、又は適応できる種がいる可能性が高まり、その社会の生存可能性は高まります。そのため、多様であることはそのままシステム全体のレジリエンスに関わるのです。

つまり生態系システム的に考えると、「分断」した生態系は非常に脆弱で、「統合」によって生態系を拡大していくことが社会のレジリエンスそのものになっていくということです。だからこそ、僕たちがこの複雑性がどんどんと高まり、どんな変化が起きてもおかしくない今の社会ですべきことは「分断」ではなく「統合」なのです。

 

「バイオロジー」を参考に、社会を1つの生態系システムだと捉え、現状の「分断」の限界に気付き、「統合」の可能性に光を当てるべきです。

そして「統合」を通して「バイオロジー」社会を目指していくことこそが、この複雑化する社会の道標だと感じています。

 

5)SDGsのその先へ

昨今、国連の掲げる2030年までの「SDGs」が多くの行政、企業、教育現場で叫ばれていますが、僕自身、このSDGsには少し懐疑的な立場をとっています。というのも、多くのアクターが上滑りだけの「持続可能性」を掲げているのはもちろんですが、現在の社会の発展の方向性とSustainabilityを別の軸として捉えているような感覚を受けるからです。

開発の名のもとに新興国を中心に世界全体で進む、資本主義に基づいた「メカニクス」社会の発展に対して、Sustainabilityというプロセスの効率化にストップをかけるような概念を打ち出していることが、現状の上滑りだけの持続可能性の蔓延を招いているのではないかということです。簡単に言ってしまえば本音と建前がちぐはぐになっていないかということです。

 

つまりSDGsなどの世界全体での目標は、社会全体の方向性、ひいては社会発展の方向性と抱き合わせで打ち出されるべきだと感じます。

 

僕は、SDGsの効果は多くの人に「メカニクス」社会の罪悪感を植え付け、さざ波をつくったことにあると思っています。本音と建前がちぐはぐになっている違和感、そして現代社会における停滞感、変化についていけない中で、どこか改革をしなければいけない感覚、これらが合わさって社会は徐々にですが良い方向に向かっていると感じます。

その波が「確率論」的な思考のアップデートや「統合」の可能性とつながった時、大きな波が来ると思います。それが2030年になるかはわかりませんが、そのときに1つの道標が「バイオロジー」社会であったら嬉しいです。

 

そして、社会の発展の方向性が経済的な発展を基礎としている開発ではなく、複雑性の高まる社会への適応になってほしいという思いを込めて、もし僕が次のゴールを名付けるのであれば「Biological Adaptation Goals:BAGs:生物的な適応目標」と名付ける気がします。

社会全体を生態系システムとして、複雑性に対してレジリエントな社会を目指していくことが、これからの社会の1つの方向性になるのではないかと、個人的には本気で考えています。様々な「バイオロジー」の知見が、今後の社会発展の形に活かされることを願っています。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。最後はほぼ妄想に近いような内容でしたが、この3回の記事を通して、2020年という節目の年に自分自身が考え、少し見えた今後の道標が伝わると良いなと思っています。

 

来年も記事更新していきますので、ぜひご覧いただければと思います。

アメリカ-イラン関係、オーストラリア、アマゾンの森林大火災、モーリシャスでの重油事故、そして世界を一変させた新型コロナなど様々なことがあった今年ですが、年初に書いたように、いかに明日を描いていくことが大事かを改めて認識させられた1年でした。

来年が今年よりも少しでも良い年になることを願っています。

皆さま良いお年をお過ごしください。

 

 

今回も最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。

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