杉谷遼 活動ブログ:世界をより良い場所にするために

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寄付と政治参加のアップデート

 

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こんにちは。杉谷遼です。

 丁度先週、誕生日を迎え27歳となりました。27歳初の記事ということで、自分の中で温めていた「寄付」というものの価値について書いていきたいと思います。

 

 僕にとって自分が出来ないこと、素晴らしいことをしている人々や団体へ寄付するということは当たり前のことです。しかし、今の日本の多くの人はそうではありません。

 かといって僕自身が特別心優しい善意であふれた人間であるわけでもありません。むしろ僕よりもよっぽど心優しく善意であふれた人々が友達にも知人にもたくさんいます。

 ではなぜ、その人たちは寄付をしないのでしょう?そこに、僕自身が考えている「寄付」の考え方と世間一般で考えられている「寄付」の考え方に大きな溝があると感じました。その溝を埋めたいという思いがこの記事を書く出発点です。

 

 この記事が日本の寄付市場全体の少なさという問題への貢献に、そして資金難で悩む素晴らしい活動をされているNPOの助けに、さらには将来の見えない若年層の政治への諦めに対して一石を投じることに繋がれば嬉しいです。

 

目次

1)寄付市場の基盤が弱い日本社会

2)ソーシャルセクターの社会的役割

3)政治的に不平等な今の日本

4)寄付は社会変革のための一票になる

 

1)寄付市場の基盤が弱い日本社会

 まず、日本全体の寄付市場の話から始めます。日本全体の個人寄付額は2016年のデータで少し古いですが、7756億円*です。思ったより多いという方もいるかと思いますが、アメリカの同年の個人寄付額は30兆6664億円*です。経済規模の差を考慮して名目GDPに占める割合としても、日本が0.14%*であるのに対して、アメリカは1.44%*と10倍の差があります。

(*ここまでのデータはNPO法人日本ファンドレイズ協会より引用)

 近年クラウドファンディングの拡大や、この新型コロナの影響により助け合いの精神から寄付の額は現在もっと増えていると予想できますが、アメリカとの10倍の差を埋めるほどの前進ではないと感じています。

 また、ここが今日の一番のポイントになるのですが、昨今増加している寄付には一過性の寄付が多いという印象を受けます。クラウドファンディングにしろ、今回の新型コロナでの緊急支援にしろ、通年での支援ではなく、必要になった場所にその分だけ寄付をするという一時的なものにとどまってしまっている寄付が多いと感じます。

 ことわっておくと、決してこのような緊急支援や一時的な寄付が悪いということではありません。今まで寄付をしてこなかった人が寄付をするようになること、本当に必要な場所に寄付を届けることは確実に必要なことです。

 ただ、そのような緊急時、一時的な寄付が多いということは、その分だけ今の日本の寄付市場は基盤が弱いということだと思います。これは「寄付」が誰かを助けるためのもの、目に見える誰かを応援するためのものという「善意の協力」の範囲を超えていないからだと思います。繰り返しになりますが、「善意の協力」はもちろん大切です。ただ、その協力には継続性がありません。人が共感をして善意を行動に移すということを継続していくことには限界があるからです。

 

2)ソーシャルセクターの社会的役割

 では、寄付というものをどのようにとらえることで、この緊急性のある寄付、一過性の寄付から、継続的な寄付へと変わっていき、日本の寄付市場の基盤を強めることが出来るのでしょうか。

 ここで、重要になってくるのがNPOに代表されるようなソーシャルセクターの役割です。そのため、本来あるべきソーシャルセクターの役割から考えていこうと思います。

 ソーシャルセクターは主に、経済活動や政府の民主主義的な動きの中で取り残されてしまった、社会問題と言われる問題に苦しむ人々の支えになることを目的として存在していることが多いです。例えば、地域の片親家庭の教育支援や、新興国における貧困層の支援、障碍を抱えた方のライフサポートなど、その活動は多岐にわたります。このような問題に対して、資金を集め(ファンドレイジング)、しっかりとその問題で困っている人々のもとに届けて支援することがソーシャルセクターの大きな役割の1つです。

 しかし、多くの人々、場合によってはソーシャルセクターの中にいる人々まで、このような支援するということが役割の全てだと思われているように感じます。あくまで、この支援するということは役割の1つでしかなく、本来的に言えばこのような問題が発生している根源的な原因へとアクセスをして、解決していくということを目指すことがソーシャルセクターの役割です。そうでなければ、支援を受けている人々を一生その団体は支援しなければなりませんし、もしその団体が資金集めに失敗して破綻した場合に、その団体が今までしてきた支援というものは何も残らないものになってしまい、多くの支援を必要としている人々を投げ出すということになってしまいます。だからこそ、ソーシャルセクターの役割は支援することだけではなく、その問題の解決を目指すことであるはずです。

 その問題解決を目指す活動として、講演会や政府への意見といったアドボカシー活動(市民社会への理解促進や政府・地方行政・国際機関など行政に対する働きかけのこと)をほとんどの団体が行っています。

 このように、ソーシャルセクターが目指していることは基本的に問題への一時的な支援ではなく、問題の根本的な解決です。だからこそ、ソーシャルセクターへの寄付はこのような一時的な「善意への協力」ではなく、継続的な「変革のための社会参加」として捉えるべきだと考えます。入り口やとっつきやすいものは「善意の協力」でも良いと思います。しかし、その先の継続的な「変革のための社会参加」として寄付が市民権を得たとき、日本の寄付市場の基盤はより力強いものになるのではないでしょうか。

 

3)政治的に不平等な今の日本

 話は少し寄付から離れて、政治の話になります。現在、新型コロナに対する政府の対応に批判が出たり、都知事選が始まりつつあったりと、少し政治を身近に感じる、関心を持つ時期なのではないでしょうか。

 既にご存知かもしれませんが、これから「今の政治では何も変わらない」ということをお話しする前に、以下の動画をぜひご覧ください。

 https://www.youtube.com/watch?v=t0e9guhV35o

 

 簡潔に言えば、日本はこの最たる例だと言えます。選挙に行く高齢者、そして選挙に行かない若年層。だからこそ知らぬ間に社会は高齢者のためのものになっていき、そのツケを払わされるのが若者やこれから生まれてくる世代という構造です。

 そして少し考えてほしいことは、民主主義である限り今の日本で僕たちの意見を政治の仕組みを用いて反映させていくことはかなり難しいということです。統計局の最新データ(令和2年5月速報値)によると日本の高齢者人口(65歳以上)は3609万人(全体の28.6%)で、それに対して若年層(15歳~34歳まで)は2509万人(全体の19.9%)です。(35~39歳を入れても3254万人で25.8%)

 この数字を見ればわかりますが、投票という行為では僕たちのような若年層の意見と高齢者層の意見が食い違ったとき、40歳未満の人々が一蓮托生になって臨んでも、ぎりぎり勝てないというのが現状です。だからこそ、高齢者層優遇、若年層軽視の傾向はこれからの日本で大きく変わることはありません。1人1票の平等が与えられていても、数的な問題ですでに不平等になっているのです。

 だからと言って、投票に行く意味がないと言いたいのではありません。参政権を行使することは、自分の意見を政治に反映させる上でとても重要なことです。数の壁はあるものの、自分はこう考えているという小さな1人の意見がある政治家1人の当落に関わり、それによって政治がわずかでも変わるということは十分にあり得ます。ただ、今回言いたいのはこのような投票という政治参加による社会変革は、特に僕たちのような若年層には限界があるということです。1人1票で変えられる範囲に限界がある。当たり前のことですが、この状況は僕たちのような若年層が、今の閉塞的な日本の政治に対して諦めてしまう、無関心になってしまうことにもある一定の理解が出来る事実だと思います。

 

4)寄付は社会変革のための一票になる

 このような硬直してしまって変えられそうにない政治や今の社会に対して、僕たちは投票というささやかな抵抗をしながら、半ば諦めてそれに従って生きていくことしかできないのでしょうか。

 僕は違うと思います。そしてそこに風穴を開けることが出来るものが「寄付」なんだと思います。

 経済活動の中では、ごく当然のように有望な企業や面白い企業に投資をするということがあると思います。確かにそれに対して配当などのリターンがあるから投資するということもあると思いますが、そういう企業がもっと大きくなって面白いものが出来たら良いなという思いが少なからずあると思います。

 前に述べた様に、企業が経済活動によって何かを成し遂げるものだとすれば、ソーシャルセクターは経済活動や政治活動の中で生まれてしまった問題を解決するためのものです。だからこそ「寄付」はこんな社会になってほしい、こんな世界になってほしいという社会変革への投資なのです。

 もちろん企業のように配当やリターンを用意できるわけではありません。しかし、その社会変革を起こすことがどれだけ意義のあることなのか、間接的に政治活動に、経済活動に訴えることの出来る、どこか1つを選ぶ必要もなく、1票だけでもないこの社会への参加権だと思います。

 誰しもが政治活動、経済活動の中で様々な問題を抱えているはずです。学校教育が不十分である、企業によるパワハラの被害を受けた、毎月高額の税金を払っているのに自分には何も返ってこないなど、その問題は多種多様だと思います。でもその1つ1つに対しておかしいと声を上げ、活動をしているソーシャルセクターの団体があるはずです。そのような団体に多くの寄付が集まれば、問題が改善することも、そして解決することもあります。

 そのような「変革のための社会参加」として寄付を考えてみませんか?そうすれば寄付は善意溢れる人が優しさでしているものではなくなるはずです。「寄付」はこの国の政治を経済を、そして社会全体をより良くするための何票でも入れられる新しいカタチの参政権なんです。

 皆さんの優しさと善意ではこの社会は変わらないかもしれません。しかし、そこに変えたいという思いと、一緒に変えていきたいという覚悟が合わさったとき、社会は本当に変わるのではないかと本気で思っています。

 

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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