杉谷遼 活動ブログ:世界をより良い場所にするために

社会課題解決を通して世界の不条理を減らすために活動しています

2020年、明日を「描」いていく

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新年あけましておめでとうございます。杉谷遼です。

昨年はインドへの出張から始まり、休職、転職、そしてカンボジアシェムリアップで終えるという激動の1年でした。

その中で出会いもあり、別れもあり、自分の求めているものがわかり、自分の苦手なものがわかり、本当に濃く人生の中で重要な一年だったと数十年後に振り返ると思います。

周囲の方々にはご迷惑、ご心配をおかけしましたが、この一年無事に過ごせたのもみなさまのおかげです。今年もよろしくお願いします。

 

さて、今回は新年のご挨拶ということで2020年をどんな気持ちで過ごそうと考えているか、特にここ数日で大きく変化している社会情勢を踏まえて考えていることを書いていこうと思います。

 

目次

1)暗雲が広がる新年

2)明日への希望を持てるか

3)明日を「描」いていく

 

1)暗雲が広がる新年

新年早々ではありますが、世界情勢は緊迫の時を迎えています。アメリカによるイラン軍司令官の殺害により両国の緊張は一気に高まり、第3次世界大戦かと言われています。この軍事的緊張のみならず、昨年起こったアマゾンでの大火災に続き、オーストラリアでは緊急事態と言えるほどの山火事が発生しています。

以下、参考記事(どちらも英語記事ですが、更新が頻繁で後追いできるため掲載)

・イラン-アメリカ情勢

https://www.aljazeera.com/news/2020/01/iran-tensions-soleimani-killing-latest-updates-200106051858184.html

・オーストラリア大火災

https://www.bbc.com/news/world-australia-50951043

 

決して2020年になって始まった問題ではありませんが、ここにきて国家間の軍事的緊張、気候変動による大災害と2020年早々、この世界は大問題を突きつけられる形となりました。

まさに世界情勢、環境問題に大きな暗雲が立ち込めるような新年の幕開けです。

 

2)明日への希望を持てるか

この状態で僕たちは何が出来るのでしょうか。

Twitter等を通して反戦の機運が高まっていますが、それに参加することでしょうか。せめて自国だけでもと、政府に対する意見書に署名することでしょうか。

山火事の被害に対して募金することでしょうか。もしくは自らが立ち上がり、より多くの人にこの事実を伝え、多くの人を動かしていくことでしょうか。

そのどれもが僕は大切だと思います。

それは各々の行動の効果はもちろんですが、それ以上に何が出来るかと考える姿勢そのものに、「明日を生きる希望」を感じるからです。

 

もし明日、第3次世界大戦が始まり、そこに日本も参戦し、日本も戦場になり、自分も含めた多くの人が戦地に行くことになるような状況になったらどうでしょうか。

もし明日、異常気象による大型の台風が3つ一気に日本列島に上陸するという大災害が起こるとしたらどうでしょうか。

 

そのとき僕たちはきっと「明日」ではなく「今」を考えます。

「明日」への希望を失ったとき、僕たちは「過去」を振り返り、「今」のうちにやっておきたいこと、やり残していたことを考え始めます。

最後の時間は家族と過ごしたい、愛する人と過ごしたい、やり残しのない「今」を過ごしたい、そんな「今」を生きるはずです。

 

だからこそ、何が出来るかと考えている「明日」への希望を持ち続けている状態が、暗雲が広がり希望を持てなくなりそうなこの世界には必要なんだと思います。

1人でも多くの人が「明日」への希望を捨てずに行動し続ければ、きっと世界は変わります。今立ち込めている暗雲も晴れる日が来るはずです。

だから今は何が出来るか考え続け、実際に行動していくことが何よりも必要な状態になっています。

 

僕は「明日」への希望を捨てません。何が出来るかを考え続け、行動を起こします。それは小さなステップでも、大きな効果は生まなくても必死にもがいていこうと思います。

 

3)明日を「描」いていく

昨年末、新年の抱負を書こうと思ったとき色々と考えていたことがありました。でもこの数日間、自分のもとに飛び込んできた世界情勢の変化を見て、正直全て忘れてしまいました。

ごちゃごちゃ頭の中で考えていた理想的な目標や抱負なんかよりも、今目の前に迫る「明日」に真剣に向き合わないといけないと心から思ったからです。

 

そう強く思ったとき、僕の頭の中に浮かんだのが「描」という字でした。

 

「明日」への希望をもって、行動をし続けることがキャンバスに絵を描いていく様子に似ているような気がしたからです。

大きな過ちを犯してしまった世界情勢という絵に対して、線を描くことをやめたら何も変わりません。その上、一本の線では全くその絵は変わりません。

それでも何千回、何万回と必死に線を描き続けていったら、1人だけではなく、みんなで協力しながら線を描いていったら、きっと大きな過ちは小さな過ちに変わるかもしれません。もっとうまく線を描けば、過ちはその絵の長所に変わるかもしれません。そんなことが頭に浮かび、僕は2020年を「描」く年にしたいと考えました。

 

暗雲が立ち込めるこの世界に対しても、そして自分が生きる明日というものにも、自分の仕事に対しても、人間関係に対しても僕は線を「描」くことを続けていきたいと思います。そして2020年の終わりには2019年の終わりよりも少しはいい絵が、出来ることならずっといい絵が描けたなと思えるような、そんな1年にしたいです。

 

明日はどんな線を描こう、何色の線を描こう、短い線かな、長い線かなとあれこれ考えながら希望をもって明日を待っている

 

そんな毎日を僕は真剣に、楽しみながら、幸せを感じながら生きていきたいです。

今年も杉谷遼をよろしくお願いします。

一緒に線を描いていきましょう。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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