杉谷遼 活動ブログ:世界をより良い場所にするために

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教育とはどんな未来にBETするかだ

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お久しぶりです。杉谷遼です。

転職後、多忙な日々の中でなかなかブログを更新することができず、ご無沙汰していました。月に2回は更新できるようにこれからも発信を続けていきますので、よろしくお願いします。

さて、転職後、教育業界に身を置くことになり、高校生や大学生と共に、高校や大学という教育現場で仕事をする日々となりました。そんな中で自分なりに「教育」というものを考えることが多くなったので、それを記事として発信したいと思います。

 

目次

1)今の教育現場は市場経済の論理で動いている

2)教育とはどんな世界にBETするかだ

3)僕の描く10-20年後の世界

4)ジャガイモが活躍する時代

 

1)今の教育現場は市場経済の論理で動いている

日々、教育業界で仕事をする中で強く思うことは、教育現場は市場経済の論理で動いているということです。国が作った教育制度、例えば受験という市場の中でいかに価値を感じてもらえるか、お客様である保護者が望む結果をいかにして出せるかが非常に大事になっているんだなと感じています。

 

確かに多くの学校さんは「教育理念」を掲げていますが、特に1企業である私立の教育機関はお客様の方を向いてビジネスを、教育をせざるを得ません。そういう意味で多くの教育現場は市場経済、いわば受験経済の中で動いていると感じています。

 

僕はこの事実を悪いことだとは思いません。僕自身もこの受験経済の論理の中で今まで育ち、多くのものを得てきましたし、受験で成功することが現在の日本でも一定の価値があることは認めざるを得ないからです。

ただ、教育が果たす役割としては、僕はこの事実に賛同できません。人を育てるためには本来的に「今」の社会ではなく、「未来」の社会が重要になってくると感じるからです。

 

2)教育とはどんな未来にBETするかだ

僕はこの予想される社会の未来像を受けて、どんな人材に育ってほしいかということこそが教育理念や教育思想になるべきだと感じています。この先、社会に出て生徒たちが戦うときに世界はどのように変わっているのか、それを我々大人が必死に調べ、考え、予想し、未来像を描き、そこで活躍するために何が必要かという視点から教育は始まるべきなのではないかと考えています。

 

しかし、現在の教育現場ではほとんどが市場経済の論理で動き、目の前の学校生活や受験に目線を向けています。どれほどの教育関係者が10年後、20年後どんな社会や世界になるのかを考えているか、正直大きな疑問です。

生徒からすれば身近にいる教育関係の大人こそが道標です。「大丈夫、良い大学に入れば、良い企業に入れば幸せな未来が待っている」そんな思慮の足りない言葉はきっと将来生徒たちの未来を壊してしまいます。

 

だからこそ、僕たち教育に携わる大人は必至で社会の世界のことに目を向けて、この先どんな未来がやってくるのか、少しでも確度が高い未来を予測する義務があると思っています。いうなれば次世代の日本の人材という測りきれないほど大きな価値をかけた一世一代のギャンブルを何回も何回も繰り返してやり続けているような状況です。BETするためには、それ相応の覚悟と下調べ、そしてそこにBETする勇気が必要になってくるのは言わずもがなではないでしょうか。

 

3)僕の描く10-20年後の世界

このようなことを考えるようになり、僕もどんな未来が来るのか、世界はどうなるのか予測してみました。僕の中でこの10-20年の中で鍵を握るのは「階層・分断社会」と「社会基盤の崩壊」だと考えています。

 

まず「階層・分断社会」ですが、日本の高齢化の深刻化、大企業の凋落、新興国の台頭といった時代の流れから、多くの優秀な人材が新興国をはじめとする海外へと流出していきます。またそれと同時に特に遺伝子分野での科学技術進歩によって、子供たちの才能や能力をお金で買える時代が来ると考えています。そうなった場合、お金を持っている人ほど優秀な子供を選び、海外に行かせる等の重要な教育を与えられ、活躍できる人材を育てられる傾向になり、今の格差社会はより一層深まってしまう可能性が高いです。そのためこの社会は、持つ者と持たざる者によって大きく分断されてしまうはずです。

 

この分断された社会において、「社会基盤の崩壊」が起きると予想されます。本来持たざる者を支えなければならない政治は形骸化し、福祉で支えきれないほどの人々が大量に発生していきます。また大企業の凋落により、今までエリートとされてきた受験成功者たちを受け入れる場所も減っていくため、「良い大学に入って良い企業に勤めれば未来は明るい」ということはほとんどない状態になるはずです。これは我々日本人が今まで頼りにしてきた弱者に手を差し伸べる福祉、安定した雇用を生む大企業といった社会の拠り所、基盤が崩壊することを意味します。国も企業も学校も、どこにも守られずに生きていかなければならない時代になるかもしれません。

 

4)ジャガイモが活躍する時代

そんな分断され、社会基盤が崩壊した社会で活躍する人材は、決して温室で育ったトマトではないと思います。温室はいうなれば今の国や大企業、学校といった僕たちを風雨から守るシステムで、ちゃんと身が熟すように育ててくれます。しかし、実はもうすでに外では嵐が始まっているかもしれません。温室の中で育てられたのでは、その嵐が大きな台風になってビニールハウスごと吹き飛ばしてしまったとき、何もあらがえないまま吹き飛ばされ、地に落ち、腐ってしまいます。

 

僕が考える今後の世界で活躍する人材は、野ざらしの大地で育ったジャガイモです。温室のような整った環境ではないからこそ、嵐を感じながら必死に大地から栄養を吸収し、嵐の中でも生きていこうとする。そんなジャガイモは、大きな台風によって頼るものがなくなったとしても、なんとか栄養を蓄えて育っていくことが出来ます。

 

この未来像から逆算した活躍する人材像は今働いているvery50の掲げる「自立した優しい挑戦者」にもつながってきます。嵐が起きている社会や世界を感じて、その中で自分の出来ることを探していく、そんなジャガイモを育てる教育を通して、これからの社会で活躍できる人材を育てていけたらと思います。

またここで止まるのではなく、常に社会や世界にアンテナを張りめぐらし、どんな未来が来るのか、常に日本の人材という測りきれない掛け金を背負ってBETをする覚悟で情報をとり、考え続けていけたらと思っています。

皆さんもぜひどんな社会が10-20年後に来るのか、考えてみることから日本の、そして世界の教育や動きを見てみてはいかがでしょうか。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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