杉谷遼 活動ブログ:世界をより良い場所にするために

社会課題解決を通して世界の不条理を減らすために活動しています

分断と統合-複雑性のモンスターを前にして-

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お久しぶりです。杉谷遼です。

最後の記事更新が6月と、今までで最長の2か月半が経過してしまいました。

今回、なぜここまで間があいてしまったのかというと、仕事が忙しかったというのもありますが、この数か月の自分の中でのインプットがそれぞれ程よい大きさに切れてくれず、段々と大きな塊として存在感を増してきたというのが大きな理由です。

本来大きなまとまりのある記事を書くのが好きではなく、なるべくなるべく小出しにしていきたいと思っていたのですが、今回はそうはいきませんでした。

そんな大きな塊の成長が段々と落ち着き始め、僕の中でこの塊が何者なのか、説明がつくようになったため、ようやく記事を書きだそうと思った次第です。

今回は大きな塊を3つの章に砕いて少しずつ書いていきたいと思いますので、いつも以上に話が見えづらく、内容も抽象的な部分が多いため、わけのわからない話に思われるかもしれませんが、今まで以上に自分の中では最近の世の中や社会を見通す大切な枠の1つだと思うので記事を書かせていただきます。

全3回ということでなるべく来月末までには書ききりたいと思っていますが、温かく見守っていただければと思います。

 

目次

1)問いを複雑にするのは何か

2)膨れ上がった複雑性のモンスター

3)分断という対処

4)統合を諦めない

 

 

1)問いを複雑にするのは何か

今回、僕がこの記事を書き始めようと思ったきっかけは、小学生のような純粋な疑問でした。なぜ世界には解決できない多くの問題があるのかということです。

これは僕が普段から興味を持っている新興国の問題もそうですし、政治や外交上の問題、環境問題など、様々な地球上、人類の課題は長年多くの人がその人生をかけて取り組み、死力を尽くして頑張ってもほんの1㎜ほどしか解決に向かわないものです。

 

このような活動をしているとときどき、
「どんなに頑張っても自分が生きているうちに解決できない可能性が高い問題に取り組んでいて、無力感を感じないのか」
と問われることがあります。

 

確かに客観的に考えて、現在自分が課題だと感じている諸問題は、僕が一生をかけても解決できない可能性が高いですし、自分以後の何世代にわたってもピクリともしない問題のようにも感じます。

ただ、僕にとってはそれが純粋に疑問に感じられました。解決できない問題の存在、そのものが疑問に感じられたのです。

無宗教ではありますがキリスト教の聖書に「*神は乗り越えられる試練しか与えない」とあるのに、乗り越えられない試練があるのかと存在そのものに純粋に疑問が湧いたのです。
*コリント人への手紙第10章13節の意訳

 

こんな無邪気な疑問から、この世の中をもう一度見直してみようというのが、今回の3回に及ぶ記事の出発点です。決して解決が出来ると楽観的になるためのものでも、解決が出来ないと悲観的になることも目的とはしていません。

単純にすごくシンプルな疑問から、この世界がなぜ難しいのか、そして特にVUCAの時代と呼ばれる現代がなぜ問題にあふれているのか考えていくきっかけになれたら嬉しいです。

 

さて、このように解決できない問題を前にして絶望するのは疲れるので、簡単に解ける問題から考えることにしましょう。

誰もが1度は解いたことがあるシンプルな問題として方程式があると思います。

2x+5=3のようなごく単純な方程式です。これであればx=-1とすぐに答えが出ます。これはなぜかというとxという1つの「変数」に対して、2x+5=3という「条件」が1つあるからです。

数学が得意な方であればご存知かと思いますが、一般的にどんなに「変数」が多くても「条件」が同じ数あればそれを解くことが出来ます。(細かい条件については本題ではないので興味があれば調べてください。)

逆に解けなくなる時は「変数」の数が「条件」の数を上回った場合です。数学が嫌いで嫌いで仕方ない方には申し訳ないのですが、1つ例を示します。

x、y、zという3つの「変数」に対して、

3x+5y+z=12、x+y+z=2という2つの「条件」しかなかったとしましょう。そうすると何が起きるかというと、

x=-2z-1、y=z+3という2つの式までしか出すことが出来ません。x=〇、y=〇、z=〇という答えは出ないのです。

こう考えると、解けない問題は「変数」が「条件」に比べて多すぎるということがわかります。実際の社会問題も国家同士の利権や地域での利権、そこに自然環境や住民といった様々な「変数」が絡まりあって問題が発生しています。人間1人ですら、様々な利害関係の中で同じ動きをしない「変数」なので、このような解決困難と言われる問題が抱えている「変数」の数は膨大だと考えられます。

 

ここまで数学を使ったりと話が少しそれたりもしましたが、ここでお伝えしたかったのは解決できない問題は関わっている「変数」が多すぎるということ、そしてそれらを結びつける「条件」が少ないことが問題を難しくしている原因であるということです。

 

2)膨れ上がった複雑性のモンスター

現代の問題はこの過剰な変数が生み出した複雑性のモンスターとも言えます。

もともとこの世界や社会は複雑なものです。多くの生物がお互いの利益のために互いに助け合ったり、社会構造を構築して秩序を保ってきました。

しかし、僕たち人間はこの世界に広がる均等な複雑性を、自分たちの簡便性のために見えないところに押し付けて、追いやってきました。

均等な蜘蛛の巣を、棒でどこか一か所にまとめるように、棒が通った後は糸はなくなりシンプルになりますが、棒が行き着く先には過剰な糸が複雑な模様を作っています。

 

例えば途上国におけるアパレル企業の過重労働、悪質な労働環境の問題を挙げましょう。いかに効率的にものを作り、それをいかに安く大量に売るかという目的意識のもと、本来であれば関わることのなかった途上国の労働市場に先進国の利益という「変数」が持ち込まれました。その結果、途上国内での労働生態系がバランスを崩しただけでなく、企業側につく現地のマネージャーと労働力として酷使される人々という新たな「変数」を生んだりしながら、ブクブクとその複雑性を膨らませてきました。

その一方、先進国側に住む僕たちは良い衣服が安く手に入ることに喜び、その動きを加速させてきてしまいました。今でこそ大きく取り上げられ、意識をして消費をすることが注目されてきてはいますが、一昔前までは僕たちから見えないところに問題は追いやられ、見えないところで膨れ上がってきました。

 

そして今になってこの膨れ上がったモンスターが注目されてきています。すでにでっぷりと多くの変数を抱え込んでいるこのモンスターに対して、僕たちは何が出来るのでしょうか。一か所に寄せられて絡み合った蜘蛛の糸をほどくことが出来るのでしょうか。

 

3)分断という対処

このような複雑性のモンスターを前にして、多くの国家、人々が諦め始めたと僕は感じています。その1つの例が各国での右派政権の誕生です。

アメリカのトランプに始まり、ボロソナロ、ドゥテルテ、安倍-菅政権などなど多くの右派政権が世界中で誕生しています。なぜこれが諦めの始まりかというと、彼らの複雑性のモンスターへの対処が「分断」だからです。

 

分断は確かに一見すると複雑性を解消しているように見えるかもしれません。一番わかりやすいのはトランプです。彼はUnited States of Americaを見事にDivided States of Americaに変え、問題を解決したかのように見せました。白人と有色人種、高齢層と若年層、都市部と地方部、エリートと貧困層などなど様々な切り口で「分断」は行われます。日本も高齢層に向けて多額の社会福祉費用を出すことで政権を維持し、そのツケを若年層へと先送りし続けています。そして「分断」を行う人々は、まるで問題が解決されているかのようにアピールをし、それによって利益を得た人は素晴らしい成果だと評価します。

複雑性の高い問題に対してなぜ「分断」が有効なのか、それは複雑な問題を解ける部分と解けない部分に分断し、解ける部分にリソースを全て注ぎ込むというやり方を取るからです。このやり方であれば「条件」の数が足りている解ける部分の「変数」は解が出ます。つまり扱う「変数」を扱いやすいものに絞って減らすということです。

 

しかし、解けない部分に目を向けると悲惨です。もともと複雑性が高く、解けないと判断された部分が、分断されることによって複雑性の純度が増してしまうからです。つまり扱いにくい「変数」ばかりが残るということです。今までは扱いやすい「変数」にくっついていることで何とか維持していたその全体像は、この分断によって完全に機能不全に陥ってしまいます。これが顕在化したのがBlack Lives Matterに代表される人種差別の問題だとも感じます。

 

4)統合を諦めない

このように「分断」はこれまで複雑性のモンスターを育て、解けない問題を育んできた方法と何ら変わりません。次々と解けない問題をより解けない問題に変えていく極めて危険な対処方法です。しかし、世界の民主主義(と呼ぶことにします)はこの「分断」を求める流れになってきています。

 

この流れを止めるためにも「統合」を進めなければならないと思います。「統合」はいわゆる国際協力や国際協調といった大きな枠組みから、世代間の協力、官民の協力など様々な「変数」が手を取り合って「条件」を増やす努力のことです。しかし想像していただけるかと思いますが、国際協調をはじめ「変数」同士の関係性である「条件」を増やすことは難しいため、困難な道になるとわかり切っている「統合」に舵を切るためには、僕たちが「統合」された複雑系への正しい理解を進めていく必要があります。

 

「分断」の流れは強力です。わかりやすさという武器は多くの人を動かします。逆に「統合」は人心を得にくいものです。すぐ結果も出なければ、損失をなくすだけで利益につながらないこともあります。そして何よりも複雑で難解です。

今回、僕がこの3回にまたがる記事を書こうと思った目的はここにあります。この複雑で難解な「統合」に向かっていくために、僕たちは今までのわかりやすさ×目に見える利益という成果の定義の変更を求められています。

解けないと思われる問題に対して「条件」を増やして粘り強く対処していくために、「統合」の難解さを解きほぐし、理解し、対処方法として扱っていく必要があります。次回以後の記事の中で、これまでのインプットの中から、「統合」を理解し扱っていくためのヒントになるコンセプト、考え方について書いていけたらと考えています。

 

今回はこの世界でなかなか解くことの出来ない問題の複雑性の原因を「変数」と「条件」という数学チックな定義で説明をしました。そしてその複雑性の解消の手段として「分断」と「統合」という全く異なる2つを紹介し、今世界的な潮流となっている「分断」の危険性について説明しました。その上で、次回以後は「統合」に舵を切るために、その理解のヒントになるコンセプトを紹介していこうと思います。

 

この記事をヒントに少しでも「分断」を止め、「統合」が進むきっかけになったら嬉しいです。

 

今回も記事を読んでいただき、ありがとうございました。

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