杉谷遼 活動ブログ:世界をより良い場所にするために

社会課題解決を通して世界の不条理を減らすために活動しています

リーダー=「自導者」の時代へ

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お久しぶりです。杉谷遼です。

(最近は月1でしか更新できていないのですが、在宅勤務なので、更新頻度を上げていきたいと思っています。。。)

コロナウィルスの拡大により、ついに日本でも緊急事態宣言が発令されました。今後事態がどのように変化していくのか、収束はいつになるのか、人道的な観点からも、経済的な観点からも目が離せない状況になってきています。

さて、前回は日本が変化後進国となっている根本原因から、このコロナウィルスの機会を基に変化を受け入れる素養をつけていくべきであり、そのためには多くの人が日本の現状をしっかりと見つめ、声を上げていくことが必要だということを書かせてもらいました。

今回は、コロナウィルスにも関わることですが、社会全体で様々な情報が溢れるほど存在し、行き交い、何がデマで何が真実かわからない時代の中で求められる個人の生き方、リーダー像について書いていこうと思います。

 

目次

1)情報に踊らされる時代

2)たった1つの真実を待っていてはいけない

3)自らを導く力

4)リーダー=「自導者」

 

1)情報に踊らされる時代

現代が情報社会と呼ばれるようになって久しいですが、僕たち現代人の情報リテラシーというものは大きく向上していないと感じます。2011年に起きた東日本大震災の時、放射能被害の情報や物資不足の情報は瞬く間に広がり、多くの人々が福島産の商品を購入しなくなったり、スーパー等での買い占めが発生したのは記憶に新しい事実です。

このとき、多くの人々がこの情報を信じ、実際に行動を起こしました。これによって福島の農家は大打撃を受けたり、スーパーでは保存食品等の欠品が相次ぐなど、震災そのもの、発電所事故そのものよりもはるかに広範囲で、実生活に影響が出るような事態となりました。

このときの行動を今振り返ってみて、適切な行動だったと言えるかどうかはわからないと思います。あの当時、大きな混乱の中、何が正解だったのかはわかりません。ただ言事実として、情報というものに踊らされていたということは認めざるを得ないのではないでしょうか。次々に出てくる情報、そして飛び交う憶測、意見、批判、その中で僕たちは一つ一つにリアクションをして、まさに踊らされていました。その事実に自分たちの中で薄々と気付き始めたからこそ、実際の除染作業や復興よりも早く、人々の過激な行動は収束を迎えたのだと思います。

さて、あれから9年が経ち、今まさに2011年と同等か又はそれ以上の危機を迎えています。しかし、あの時と同じように多くの人は変わらず情報に踊らされ、買い占め等の行動を行ってしまっています。日々塗り替わる情報、何が正しくて何がデマなのか全くわからない状況の中で、多くの人々が不安を抱え、目の前の情報を信じ、過激な行動を取ってしまう事実。9年という時が経っても、僕たちの情報リテラシーはほとんど向上していないのだと強く考えさせられました。

 

2)たった1つの真実を待っていてはいけない

コロナウィルスのような危機は、このような社会の抱える問題を表舞台に引っ張り出します。9年の時を経て、技術も進化し生活も豊かになっているにも関わらず、僕たちは変わらず危機に対して無力で、振り回されるばかりです。これは、危機になる以前の僕たちの在り方、生き方の問題であると感じています。

VUCAの時代と言われる現代は、日々複雑性を増していきます。その中で、現代について僕たちはどれほど真実を持っているか考えたことがあるでしょうか。

日本の教育が正解を教える教育だからでしょうか、僕たちはこの世界について多くのことを知っているような気になってしまっています。自分自身が知らなくても、大学教授や政府関係者はきっと正しい情報を持っているに違いない、科学はほとんどのことを解明しているに違いない、そう思い込んでいるのではないでしょうか。しかし、それは大きな間違いです。この世界で起こることで、未だ科学的に説明がつかない事象は多く存在します。例えば左右の利き手の決定プロセスや思い込みにより効果を発揮するプラシーボ効果等、身近なものでもわかっていないことがたくさんあるのです。このような多くのことが未だわかっていない状況で急に感染拡大し始めたウィルスがどこまで感染していくのか、どのような対策が最も良いのかなど正確なことがわかるはずがありません。

コロナウィルスが極端な例だとしても、現代において何が起こるかは誰もわからないということは事実ではないでしょうか。例えばYoutuberという職業が成り立つことですら、数年前でもほとんどの人が予想できていなかったと思います。

このようにわからないことだらけな現代だからこそ、たった1つの真実を待っていてはいけないと思います。たった1つの真実や正解は誰も持っていません。それを信じきって探し続けているだけでは、また危機や情報に振り回されてしまうだけでなく、この現代を生き抜いていくことは出来ません。社会のシステムの歯車になり、目の前の役割をこなしていけば報われる時代は終わりを迎え、自分の頭で考えられる人のみが生きられる時代になったと強く感じています。

 

3)自らを導く力

今回、コロナウィルス拡散の中で、どれほどの人が自分の頭で考えられているでしょうか。自治体の自粛要請の中で営業する店舗、外出自粛の中で出勤する人々、今世間ではそんな人たちに後ろ指をさすような風潮があります。しかし、僕はその人たちがしっかりと考えて出した結論、今わかっているリスクも、目の前にある利益も、そして自分自身の感情も全てをはかったうえで、出した結論であるならば極論として非難されるべきではないと思います。

これは、現代という何が正解がわからない時代の中で、自分の頭で考えるという最も大切な姿勢を取っているからです。ロックダウンのような強制的措置が本当に効果的で必要であるならば、政府は人命のために強行的にでもこれを行うべきではないでしょうか。その措置が取られていない今、強制力のある正解が与えられていない今、信じるものを決め、行動を起こすのは紛れもなく僕たち自身だと思います。

※外出を奨励しているわけではありません。たとえ自粛に反する行動を取っていたとしても、そこに自分の頭で考えるというプロセスがある限り、安易に非難をするべきではないという意図です。逆に、自分の頭で考えずに、自粛に反する行為というのは大いに非難されるべきだと考えています。

 

コロナという例を挙げましたが、政府も会社も結局はこのような大きな変化から僕たちを守ってはくれません。今回の件の中で、多くの人が今まで自分たちを守っているように感じていたいかなるものも、本当の意味では守ってくれてはいなかったということに気付くのではないでしょうか。すでに大量解雇を行ったタクシー会社が出ているというニュースもありましたが、この事態が長引けば長引くほどこのことは顕著になっていくと思います。

だからこそ自分の頭で考え、自らの進むべき道を決めていく、自らを導く力が必要になってきていると考えます。

 

4)リーダー=「自導者」

この自らを導く力は個人の生き方の話だけではありません。今後の誰も守ってくれない社会の中で、大きな力を獲得してリーダーと呼ばれていく人たちに必須の力がこの自らを導く力になると考えています。

今までのように大きな目標に向かって、みんなをまとめ上げるような典型的なリーダーはリーダーの1つのタイプでしかなくなります。今までリーダーの必要条件であった人々を導くという要素は、自らを導く要素に変わり、他人が立てた目標に向かってみんなをまとめ上げていくような人はリーダーとは呼ばれなくなっていきます。

自分の信じるものを自分で決め、自分の考える正解を追い求める、そんな自らを導く力が人々を惹きつけ、いつの間にかそんな人がリーダーと呼ばれる時代になるのではないでしょうか。そこには人々をまとめ上げ、導くことは必要ありません。どんなに内気でも、どんなに自分に自信がなくても、前を先導するタイプでなくても、自らを導くという一点において貫徹しているならば、そこに人は惹きつけられます。そんな新しいリーダー像が生まれることを僕は期待を込めて予想しています。

確かに今回の危機による被害は甚大で、多くの涙と苦しみが生まれることでしょう。しかしその中で、現代の問題点に気付き、この先の誰も守ってくれない社会の中で、自らを導く力が必要であることが浮き彫りになったはずです。そんな自らを導く力を持つ人が1人でも多く生まれ、「指導者」ではなく「自導者」としてのリーダーがこの先の社会に大きな変革をもたらしてくれることを期待したいです。

僕自身もそんな「自導者」になるべく、この危機の中、自分の頭で考え、自分の信じるものを信じ、行動していきたいと思っています。

みなさんもこの危機をピンチからチャンスに変えるべく、自らを導く力をつけてみてはいかがでしょうか。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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変化「後進国」日本

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こんにちは杉谷遼です。

前回は現在の教育業界が市場経済で動いているという現場感から、本来教育とは未来へのBETから考えていくべきだという話を書きましたが、今回は教育にとどまらず「変化」というものに対して、どれほど日本が遅れているか、そしてその変化に対する遅さはどこから来ているのかということについて書こうと思います。

今回コロナウィルスの流行で、学校が一斉休校になったり、会社でのリモートワークが推奨されたりと多くの変化が起きました。しかし、連日のニュースではこの意思決定に対する批判が取り上げられ、リモートワークになった途端に生産効率が大幅に下がったりと、変化に対して非常に弱いという印象を受けています。

※政府の決定を支持する意図はありません。また政府に対する批判を非難するつもりもありません。その決定に対して順応出来ない今までのシステム構築に悪があったのではないかという内容です。

 

このような変化に対しての脆弱性はどこから来ているのか、僕の意見を書いていきたいと思います。

 

目次

1)高齢者国家の定めと変化への姿勢

2)日本を「後進国」にしている原因

3)日本を今一度、洗濯し申候

 

1)高齢者国家の定めと変化への姿勢

皆さんがご存知の通り、日本は高齢者国家になっています。日本の平均寿命は現在84歳に到達していると推測され、平均年齢は約49歳、東南アジアの新興国の平均年齢が軒並み20歳代なのを考えると、国家としてはかなり老齢になっていると思います。人口ボリュームで見ても団塊の世代が70代を迎えたこともあり、高齢者が全人口に占める割合は大きくなっています。

このような高齢者国家では、基本的に多くのビジネス、政治は高齢者向きになっていきます。高齢者をターゲットにした商品開発、販売促進が行われ、医療費、福祉という分野に国として力が入っていきます。

今回僕は、このような高齢者国家を責めるつもりは全くありません。高齢者向けのビジネス規模を大きくすることも必要ですし、国民の大多数が抱えている問題に対して政府として力を入れることは必然だからです。言うなればこのような動きは高齢者国家の定めと言えます。

その中で今回僕が問題視したいのは、変化に対する姿勢です。日本は世界的にも変化が非常に遅い国だと言われています。このことを言うと決まって、日本は高齢者国家だから仕方ないという声が聞こえてきます。本当にそうなのでしょうか?

確かに70-80代の方でスマホや最新テクノロジーを使いこなせている方は少ないと思います。これは年齢によって新しく受容できるものが少なくなってくるため、必然だと思います。しかし、このような方々が新しい技術はいらない、変わりたくないと言っているのでしょうか?変化が遅い原因は高齢者の増加にあるのでしょうか?

僕は違うと思います。

 

2)日本を「後進国」にしている原因

僕は高齢者ではなく、現状のシステムの中で甘い蜜を吸うことが出来る人が変化に対して脆弱な「後進国」日本を作り上げていると思います。

そこには年齢は関係ありません。今の大企業や政治システムの中で甘い汁を吸える人たちは現状に満足しているため、このような人たちが恐れるのは、今吸えている甘い汁が吸えなくなることです。そしてこの問題がより厄介なのは、この甘い汁を吸う人たち同士が結託していることです。

例えばUberという配車アプリを知っていますでしょうか。日本以外の国ではごく一般的になっている車を持っている登録者が隙間時間などでタクシーのように誰かをのせてお金を稼ぐことが出来るサービスです。利用料が元のタクシーよりも安く、どこにでも呼ぶことが出来るという利点があり、このUberの登場によって多くの国でタクシー業界が崩壊、Uberにとって代わられてしまいました。

しかし、元のタクシー運転手もUberの登録者になることでお金を稼ぐことが出来ますし、何よりも今までよりも安い利用料でタクシーを使うことが出来るようになった一般の人々にとっては非常に嬉しいことでした。言うなればUberの登場によって市場が崩壊したのではなく、適切な価値交換配分になったと言えるでしょう。今までの料金は言ってしまえば利用客から多くとりすぎていたということです。

このUberというアプリは残念ながら日本では利用できません。それはタクシー業界と政治の結託によって、Uberが入ってくることを国が拒んだからです。今の価格システムのまま甘い汁が吸えるタクシー業界と政治家にとっては、このような現状のシステムを崩壊させ、甘い汁が吸えなくなることは悪でしかないからです。

しかし、このことによって損をしているのは、僕たち一般市民です。Uberがあればもっと安くタクシーを利用できるにも関わらず、それをさせてもらえない。世界基準ではもっと安価に受けられるサービスを高く売りつけられる。変化を拒む「後進国」日本だからこそです。

 

3)日本を今一度、洗濯し申候

 これは幕末の志士、坂本龍馬の言葉です。僕は日頃から、現在の日本の状況が幕末に非常に似ていると感じています。江戸幕府という甘い汁を吸い続け、変化を拒むシステムの中で、海外の新たな技術や変化に驚き、日本の危機を叫ぶ幕末の志士たちによって江戸幕府は崩壊を迎えました。この状況が今の変化を拒む今の日本の状況に非常に似ているのです。

幕末当時よりも、僕たちは外界を自由に見ることが出来ます。そして選挙や言論の自由によってこのことを多くの人に広めることが出来ます。だからこそ、僕は明治維新のような革命ではなく、平和的に多くの人が声をあげることで「後進国」日本が変わっていくことを期待しています。

そのためには僕たち一人一人が政治に、社会に、世界に興味を持つ必要があります。今の政権はどんどんと強権を発動できる方向へと動いています。そして世界や社会はデジタル技術の普及により、急激に社会構造が変化してきています。このままでは、今の日本にいたのでは、この急激な変化の波に置いていかれてしまいます。

現に、コロナウィルスの影響でベトナムも全ての学校が休校になっているようですが、日常的にオンライン授業を取り入れているため、ほとんど混乱が起きなかったようです。これほど社会は急激に変化しており、日本は今の状態でもすでに置いていかれているのです。

今回のコロナウィルスの件だけでなく、今後も変化に対する姿勢が大いに問われます。変化することを拒むものは今の世界の中では汚れと同じです。洗濯することでその汚れをきれいさっぱり洗い流して、変化に対応できる国になるためにも、僕たちはもっと世界を見て、声を上げ続けなければなりません。これは普段、国際協力という世界に目を向けている僕でも感じる、日本という国に生まれた使命だと思っています。

皆さんもぜひ周りの人と一緒に考えてみてください。今回のコロナウィルスの一件はこのような変化を拒む体質を見直す良い機会だと思っています。1人1人の意識の変化によって日本を変える大きな波が生まれることを期待しています。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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教育とはどんな未来にBETするかだ

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お久しぶりです。杉谷遼です。

転職後、多忙な日々の中でなかなかブログを更新することができず、ご無沙汰していました。月に2回は更新できるようにこれからも発信を続けていきますので、よろしくお願いします。

さて、転職後、教育業界に身を置くことになり、高校生や大学生と共に、高校や大学という教育現場で仕事をする日々となりました。そんな中で自分なりに「教育」というものを考えることが多くなったので、それを記事として発信したいと思います。

 

目次

1)今の教育現場は市場経済の論理で動いている

2)教育とはどんな世界にBETするかだ

3)僕の描く10-20年後の世界

4)ジャガイモが活躍する時代

 

1)今の教育現場は市場経済の論理で動いている

日々、教育業界で仕事をする中で強く思うことは、教育現場は市場経済の論理で動いているということです。国が作った教育制度、例えば受験という市場の中でいかに価値を感じてもらえるか、お客様である保護者が望む結果をいかにして出せるかが非常に大事になっているんだなと感じています。

 

確かに多くの学校さんは「教育理念」を掲げていますが、特に1企業である私立の教育機関はお客様の方を向いてビジネスを、教育をせざるを得ません。そういう意味で多くの教育現場は市場経済、いわば受験経済の中で動いていると感じています。

 

僕はこの事実を悪いことだとは思いません。僕自身もこの受験経済の論理の中で今まで育ち、多くのものを得てきましたし、受験で成功することが現在の日本でも一定の価値があることは認めざるを得ないからです。

ただ、教育が果たす役割としては、僕はこの事実に賛同できません。人を育てるためには本来的に「今」の社会ではなく、「未来」の社会が重要になってくると感じるからです。

 

2)教育とはどんな未来にBETするかだ

僕はこの予想される社会の未来像を受けて、どんな人材に育ってほしいかということこそが教育理念や教育思想になるべきだと感じています。この先、社会に出て生徒たちが戦うときに世界はどのように変わっているのか、それを我々大人が必死に調べ、考え、予想し、未来像を描き、そこで活躍するために何が必要かという視点から教育は始まるべきなのではないかと考えています。

 

しかし、現在の教育現場ではほとんどが市場経済の論理で動き、目の前の学校生活や受験に目線を向けています。どれほどの教育関係者が10年後、20年後どんな社会や世界になるのかを考えているか、正直大きな疑問です。

生徒からすれば身近にいる教育関係の大人こそが道標です。「大丈夫、良い大学に入れば、良い企業に入れば幸せな未来が待っている」そんな思慮の足りない言葉はきっと将来生徒たちの未来を壊してしまいます。

 

だからこそ、僕たち教育に携わる大人は必至で社会の世界のことに目を向けて、この先どんな未来がやってくるのか、少しでも確度が高い未来を予測する義務があると思っています。いうなれば次世代の日本の人材という測りきれないほど大きな価値をかけた一世一代のギャンブルを何回も何回も繰り返してやり続けているような状況です。BETするためには、それ相応の覚悟と下調べ、そしてそこにBETする勇気が必要になってくるのは言わずもがなではないでしょうか。

 

3)僕の描く10-20年後の世界

このようなことを考えるようになり、僕もどんな未来が来るのか、世界はどうなるのか予測してみました。僕の中でこの10-20年の中で鍵を握るのは「階層・分断社会」と「社会基盤の崩壊」だと考えています。

 

まず「階層・分断社会」ですが、日本の高齢化の深刻化、大企業の凋落、新興国の台頭といった時代の流れから、多くの優秀な人材が新興国をはじめとする海外へと流出していきます。またそれと同時に特に遺伝子分野での科学技術進歩によって、子供たちの才能や能力をお金で買える時代が来ると考えています。そうなった場合、お金を持っている人ほど優秀な子供を選び、海外に行かせる等の重要な教育を与えられ、活躍できる人材を育てられる傾向になり、今の格差社会はより一層深まってしまう可能性が高いです。そのためこの社会は、持つ者と持たざる者によって大きく分断されてしまうはずです。

 

この分断された社会において、「社会基盤の崩壊」が起きると予想されます。本来持たざる者を支えなければならない政治は形骸化し、福祉で支えきれないほどの人々が大量に発生していきます。また大企業の凋落により、今までエリートとされてきた受験成功者たちを受け入れる場所も減っていくため、「良い大学に入って良い企業に勤めれば未来は明るい」ということはほとんどない状態になるはずです。これは我々日本人が今まで頼りにしてきた弱者に手を差し伸べる福祉、安定した雇用を生む大企業といった社会の拠り所、基盤が崩壊することを意味します。国も企業も学校も、どこにも守られずに生きていかなければならない時代になるかもしれません。

 

4)ジャガイモが活躍する時代

そんな分断され、社会基盤が崩壊した社会で活躍する人材は、決して温室で育ったトマトではないと思います。温室はいうなれば今の国や大企業、学校といった僕たちを風雨から守るシステムで、ちゃんと身が熟すように育ててくれます。しかし、実はもうすでに外では嵐が始まっているかもしれません。温室の中で育てられたのでは、その嵐が大きな台風になってビニールハウスごと吹き飛ばしてしまったとき、何もあらがえないまま吹き飛ばされ、地に落ち、腐ってしまいます。

 

僕が考える今後の世界で活躍する人材は、野ざらしの大地で育ったジャガイモです。温室のような整った環境ではないからこそ、嵐を感じながら必死に大地から栄養を吸収し、嵐の中でも生きていこうとする。そんなジャガイモは、大きな台風によって頼るものがなくなったとしても、なんとか栄養を蓄えて育っていくことが出来ます。

 

この未来像から逆算した活躍する人材像は今働いているvery50の掲げる「自立した優しい挑戦者」にもつながってきます。嵐が起きている社会や世界を感じて、その中で自分の出来ることを探していく、そんなジャガイモを育てる教育を通して、これからの社会で活躍できる人材を育てていけたらと思います。

またここで止まるのではなく、常に社会や世界にアンテナを張りめぐらし、どんな未来が来るのか、常に日本の人材という測りきれない掛け金を背負ってBETをする覚悟で情報をとり、考え続けていけたらと思っています。

皆さんもぜひどんな社会が10-20年後に来るのか、考えてみることから日本の、そして世界の教育や動きを見てみてはいかがでしょうか。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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2020年、明日を「描」いていく

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新年あけましておめでとうございます。杉谷遼です。

昨年はインドへの出張から始まり、休職、転職、そしてカンボジアシェムリアップで終えるという激動の1年でした。

その中で出会いもあり、別れもあり、自分の求めているものがわかり、自分の苦手なものがわかり、本当に濃く人生の中で重要な一年だったと数十年後に振り返ると思います。

周囲の方々にはご迷惑、ご心配をおかけしましたが、この一年無事に過ごせたのもみなさまのおかげです。今年もよろしくお願いします。

 

さて、今回は新年のご挨拶ということで2020年をどんな気持ちで過ごそうと考えているか、特にここ数日で大きく変化している社会情勢を踏まえて考えていることを書いていこうと思います。

 

目次

1)暗雲が広がる新年

2)明日への希望を持てるか

3)明日を「描」いていく

 

1)暗雲が広がる新年

新年早々ではありますが、世界情勢は緊迫の時を迎えています。アメリカによるイラン軍司令官の殺害により両国の緊張は一気に高まり、第3次世界大戦かと言われています。この軍事的緊張のみならず、昨年起こったアマゾンでの大火災に続き、オーストラリアでは緊急事態と言えるほどの山火事が発生しています。

以下、参考記事(どちらも英語記事ですが、更新が頻繁で後追いできるため掲載)

・イラン-アメリカ情勢

https://www.aljazeera.com/news/2020/01/iran-tensions-soleimani-killing-latest-updates-200106051858184.html

・オーストラリア大火災

https://www.bbc.com/news/world-australia-50951043

 

決して2020年になって始まった問題ではありませんが、ここにきて国家間の軍事的緊張、気候変動による大災害と2020年早々、この世界は大問題を突きつけられる形となりました。

まさに世界情勢、環境問題に大きな暗雲が立ち込めるような新年の幕開けです。

 

2)明日への希望を持てるか

この状態で僕たちは何が出来るのでしょうか。

Twitter等を通して反戦の機運が高まっていますが、それに参加することでしょうか。せめて自国だけでもと、政府に対する意見書に署名することでしょうか。

山火事の被害に対して募金することでしょうか。もしくは自らが立ち上がり、より多くの人にこの事実を伝え、多くの人を動かしていくことでしょうか。

そのどれもが僕は大切だと思います。

それは各々の行動の効果はもちろんですが、それ以上に何が出来るかと考える姿勢そのものに、「明日を生きる希望」を感じるからです。

 

もし明日、第3次世界大戦が始まり、そこに日本も参戦し、日本も戦場になり、自分も含めた多くの人が戦地に行くことになるような状況になったらどうでしょうか。

もし明日、異常気象による大型の台風が3つ一気に日本列島に上陸するという大災害が起こるとしたらどうでしょうか。

 

そのとき僕たちはきっと「明日」ではなく「今」を考えます。

「明日」への希望を失ったとき、僕たちは「過去」を振り返り、「今」のうちにやっておきたいこと、やり残していたことを考え始めます。

最後の時間は家族と過ごしたい、愛する人と過ごしたい、やり残しのない「今」を過ごしたい、そんな「今」を生きるはずです。

 

だからこそ、何が出来るかと考えている「明日」への希望を持ち続けている状態が、暗雲が広がり希望を持てなくなりそうなこの世界には必要なんだと思います。

1人でも多くの人が「明日」への希望を捨てずに行動し続ければ、きっと世界は変わります。今立ち込めている暗雲も晴れる日が来るはずです。

だから今は何が出来るか考え続け、実際に行動していくことが何よりも必要な状態になっています。

 

僕は「明日」への希望を捨てません。何が出来るかを考え続け、行動を起こします。それは小さなステップでも、大きな効果は生まなくても必死にもがいていこうと思います。

 

3)明日を「描」いていく

昨年末、新年の抱負を書こうと思ったとき色々と考えていたことがありました。でもこの数日間、自分のもとに飛び込んできた世界情勢の変化を見て、正直全て忘れてしまいました。

ごちゃごちゃ頭の中で考えていた理想的な目標や抱負なんかよりも、今目の前に迫る「明日」に真剣に向き合わないといけないと心から思ったからです。

 

そう強く思ったとき、僕の頭の中に浮かんだのが「描」という字でした。

 

「明日」への希望をもって、行動をし続けることがキャンバスに絵を描いていく様子に似ているような気がしたからです。

大きな過ちを犯してしまった世界情勢という絵に対して、線を描くことをやめたら何も変わりません。その上、一本の線では全くその絵は変わりません。

それでも何千回、何万回と必死に線を描き続けていったら、1人だけではなく、みんなで協力しながら線を描いていったら、きっと大きな過ちは小さな過ちに変わるかもしれません。もっとうまく線を描けば、過ちはその絵の長所に変わるかもしれません。そんなことが頭に浮かび、僕は2020年を「描」く年にしたいと考えました。

 

暗雲が立ち込めるこの世界に対しても、そして自分が生きる明日というものにも、自分の仕事に対しても、人間関係に対しても僕は線を「描」くことを続けていきたいと思います。そして2020年の終わりには2019年の終わりよりも少しはいい絵が、出来ることならずっといい絵が描けたなと思えるような、そんな1年にしたいです。

 

明日はどんな線を描こう、何色の線を描こう、短い線かな、長い線かなとあれこれ考えながら希望をもって明日を待っている

 

そんな毎日を僕は真剣に、楽しみながら、幸せを感じながら生きていきたいです。

今年も杉谷遼をよろしくお願いします。

一緒に線を描いていきましょう。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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退職、転職のご報告

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こんにちは。杉谷遼です。

1か月ほどブログの方の更新が出来ていなかったのですが、実は退職と転職の手続きにより非常に忙しくしていたためです。今日はその報告をさせていただきます。

※全文は長文になります。

 

12月8日をもって私、杉谷遼は株式会社マザーハウスを退職し、NPO法人very50へと転職することになりました。

 

現在、早速ではありますがvery50での最初のプロジェクト(詳細は後述します)を無事に終え、11月中旬からの退職、転職、渡航、プロジェクト参加という怒涛の日々が終わりました。3日後からもう1つのプロジェクトが始めるため、現在はカンボジアシェムリアップで羽を伸ばしているところです。

今回はマザーハウスを退職するに至った経緯とvery50に就職するに至った経緯をブログで公開させていただきます。少しでも多くの方に理解していただき、今後とも応援していただければと思っています。

 

目次

1)本当にやりたいことは何かに気付くきっかけ

2)実行、教育、表現

3)「世界の不条理に挑戦するリーダーになる」

 

1)本当にやりたいことに気付くきっかけ

退職の最初のきっかけに出会ったのは、遡ると今年の3月インド・コルカタでの出張滞在中でした。ファブリックマザーハウスというブランド(現在はリブランディングをしてe.となっています)の立ち上げに関わっていたことをきっかけに、生産地への出張というチャンスをもらった僕は、目の前の仕事に集中しながら初めて訪れるインド・コルカタという街を楽しんでいました。

東南アジアは何回も訪れたことがありましたが、それの比にならないほどエネルギーに溢れ、宗教色が強く、あふれ出るスパイスの匂い、本当にすべてが刺激的な日々でした。そんな国で途上国の手仕事という可能性に光を当てようと働く日本のスタッフと自分たちの環境を少しでも変えようと仕事に誇りをもって頑張る現地のスタッフの中で毎日を過ごし、国際協力の現場で仕事がしたいという目標を持っていた僕にはすごく刺激的で満足感もある時間でした。しかし、街を歩くたびに小さな違和感が僕の中に残りました。それは仕事にもつけず、人としても扱われず、ただただ施しのみで暮らすUntouchable(不可触民)の人々でした。

この違和感を大きくさせたのが帰国後に参加したMHC(マザーハウス副社長の山崎さんがゲストを呼んで話を深めていくゼミ形式のイベント)でした。この回のゲストはNPO法人かものはしプロジェクトの村田さんだったのですが、会場からの質問でこんな質問が飛びました。

 

マザーハウスのやられている途上国支援とかものはしのやられている途上国支援はどんなことが異なると思いますか?」

これに対する山崎さんの回答

マザーハウスは途上国の光、つまり可能性を信じ続けて、そこにスポットライトを当てていくことをやっている。それに対してかものはしさんはどうしてもぬぐいきれない闇の部分(人身売買等)と戦い続けている。」

 

これを聞いたとき、自分の中の違和感が見事に言語化されたと感じました。ずっと国際協力というものを仕事にしたい、現場で現地の人と関わりながら仕事がしたいと思っていた中で、マザーハウスという選択肢を選び、目標にしていた現地での仕事に関われた、それなのにどこか違和感が残ったのは、途上国の光と闇をひとまとめにとらえていたからだったのかと気付きました。その上で、僕は以前のブログにも書いたのですが「途上国の闇」と戦い続けたいと心から思いました。

丁度その直後に仕事のリスクと人間関係に悩み、適応障害を発症しており、休職期間を頂いたこともあり、「途上国の闇」に対して僕が本当にしたいことは何かをじっくり考えることができました。

 

2)実行、教育、表現

その休職期間中、今までの人生の中で何が楽しかったか、何にやりがいを感じたのか、そこから何がわかるのか色々と思い出しながら考えていました。

その過程で大きく分けると3つのやりがいを感じていることに気付きました。

1つ目は実行のやりがいです。

自分の頭で考えて自分で物事を進めていく。目の前のことに夢中になりながら日々鍛錬を続けて結果を出すことから得られているやりがいは僕の中でとても大きいことに気付きました。サッカー、勉強、テニス、どれも毎日が一瞬で過ぎていくほど夢中になり、日々何が出来るかを考え続け、それをやり抜いて自分自身をレベルアップさせていく、そんなやりがいは自分の人生の大きな特徴だなと思っています。

2つ目は教育のやりがいです。

思い返せば誰かに物事を教えることは僕にとってとても楽しいことで、常に関わっていたいことでした。中学の時は友達に、高校では近所の中学生に勉強を教えに行っていたこともあります。大学に入ったら当然のように家庭教師や塾の講師をアルバイトとしてし始めていましたし、勉強に限らずテニスや仕事を後輩に指導することも本当にやりがいを感じていました。この教育マインドはおそらく自分自身が中学生の時に言われた「能力が高い人は社会や周りの人に還元する必要がある」という言葉に影響を受けているようにも思います。しかし、今はそういう奉仕の精神に限らず、人が変わる瞬間やその人が気付いていなかったことに気付く瞬間に対して、非常に興味と楽しさを感じています。教育のやりがいは実行のやりがいと並ぶほど、僕の中では重要なやりがいになっています。

3つ目は表現のやりがいです。

これはあまり周りに見せてこなかったのですが、実は僕は絵を描くことやデザインすることに非常に興味があります。他にも今の気持ちを言葉にして人に伝えること(歌詞や詩的な文章)もとても好きです。こういったアーティスティックな部分、クリエイティブな部分は思い返せばずっと陰ながら続けてきたことです。フリーランスWebデザイナーをしていたり、ロゴやポスターのデザインをしたり、家では気分次第でしたが美しいと思う景色を描いたり、今の気持ちをのせた言葉を書きなぐってみたり、すごくロジカルで真面目な人間に見える一方で、こういうクリエイションの世界は常に僕を惹きつけて、心を支えてくれたやりがいです。

 

3)「世界の不条理に挑戦するリーダーになる」

そんな3つの実行、教育、表現といった自分の軸を決めたとき、very50代表の菅谷さんから今度MoGをカンボジアでやるから休職中で時間があるなら来てみればと言われました。

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MoG(Mission on the Ground)とは、日本の高校生を中心に大学生、社会人を1つのコンサルティングチームとしてトレーニングし、新興国の現場で必死に戦うSE(Social Entreprenaur 社会起業家)の抱える経営課題に取り組むというプログラムです。

新興国の現場でどうすればその起業家の事業が改善するのか、データ調査や試作品の作成からプロモーション戦略の立案や企業のブランディングといった多種多様の本気の提案をしていく学生にとっては教育プログラム、起業家にとってはアクセラレイトプログラムになっているものです。

以下very50のHP

http://very50.com/

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ちょうど、「途上国の闇」をもう一度見に行きたいと思っていたため、自身の調査と合わせてカンボジアへの渡航を決めました。

そんな経緯で見学をしに行ったMoGでしたが、高校生の成長スピード、目の前のものをやりきる集中力を目の当たりにし、いつの間にか自分自身も高校生にお店のディスプレイはこうやって作るんだよ、商品を作るときに気を付けることはこういう部分だよと自分自身の経験から様々なことを教えていました。

そして高校生だけでなく、自らの事業を良くしようと必死になる起業家も魅力的でした。仕事がなく子供を学校に行かせられず貧困から脱却できない母親たち、障がいを抱えていることで社会から断絶されている障がい者たち、そんな新興国の勢いから切り離されてはっきりと残る闇に対して戦うことを決めて、事業を行っている起業家たちを見て、本気で彼ら、彼女らの事業が成長する手助けをしたいと思いました。

そんな大きな刺激を受けたカンボジア滞在を終えて帰路につく中、自身の3つのやりがいのうちMoGは実行と教育の2つを見事に含んでいると思いました。そんな仕事が他にあるのかと少しは調べましたが、起業家の事業改善という結果に対する本気度、高校生たちを一人一人見つめ、彼らにとって本当の成長は何かと考える向き合い方を考えたとき、似ているプロジェクトはあるけどMoGに敵うプロジェクトはないなと思い、即刻転職を決意しました。

転職を決めて、もう一度僕自身のミッションは何だろうと考えてみました。

 

「世界の不条理に挑戦するリーダーになる」

 

途上国の闇以外にも、世界はたくさんの闇を抱えています。それは日本も同じです。それを「世界の不条理」とまとめました。

その上でそれに「挑戦」することを決意しました。

そして自らが率先して「実行」し、周りの人と向き合い、興味を持ってもらい、巻き込んでいき、その中で育てる「教育」を行い、多くの人が魅力を感じるような「表現」で関係のない人までも惹きつける、そんな「リーダー」を目指します。

 

そのために、「自立した優しい挑戦者を育てる」very50での仕事をメインとしながら、個人での調査活動、勉強会の開催、そして表現という面での個人のワークといった3つのやりがいに基づく活動も続けていきたいと思っています。

こちらのブログでの活動報告も「表現」の一環として続けていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

最後に、マザーハウスについて

9月からはvery50のプロボノとして休日を使って関わりながら、マザーハウスでは今までの経験をどう残していくか伝えていくかに主眼を置いて働きました。

9月からは辞めることを前提に働いていましたが、久しぶりに戻る店舗、お客様にお届けする商品たち、本気で仕事に向かい合うスタッフの中で仕事をするたびに、やっぱり自分はマザーハウスという企業が、ブランドが、商品が、スタッフが本当に好きだったんだなと実感していました。僕自身は自らのミッションのもとに、違う道を歩むことになりましたが、これからもマザーハウスの商品を買いたいし、マザーハウスを応援し続けていきたいです。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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マインドが価値になる時代に

 

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こんにちは。杉谷遼です。今回は僕が「働く」ということに関して日々考えていることを書いていこうと思います。

働き始めてから、僕にはすごく引っかかる言葉があります。それは「スキル」や「市場価値」という言葉です。「スキルを身につけないと」「市場価値を高めないと」そんな言葉を働き始めてから良く耳にするようになりました。現在の特に日本社会では個人の人材としての質を高めることは仕事をしていく上で非常に大事だと感じているため、このような言葉の意味は分かります。しかし、多くの人がこの「スキル」や「市場価値」にとらわれていることに大きな違和感を感じています。今回はその違和感について書いていこうと思います。

 

目次

1)市場価値を考えるのはフォロワー

2)スキルはマインドから生まれる

3)マインドが価値になる

 

1)市場価値を考えるのはフォロワー

まず、「市場価値」という言葉についてですが、率直に市場価値という概念で自分の価値を決めることに疑問を感じています。経済の原理からすれば、市場価値というのは市場の需要と供給によって決まるものなので、市場ありきの考え方です。

例えば現在、市場価値が高いとされている、ブロックチェーン機械学習のエンジニアは市場が出来たこと、つまりそのような技術が世の中に浸透し始め、開発者が求められる状況となったことに、その技術習得、内容理解が容易ではないことが合わさり、需要に対しての供給が少ないことから価値が高まっています。

しかし、逆に言えば、もしこのような技術が世の中に受容されなかったら、盛衰が早く一瞬のうちに消え去ってしまったり、他の技術にトレンドが移ってしまったら、市場価値は落ちて行ってしまいます。

このように市場価値とは市場による部分が多く、市場価値を考えるということは出来上がった市場に対してついていくフォロワー的な視点だなと感じています。

だからこそ、市場が変化するたびに市場価値の高い人材は変わり、市場価値を高めていくということは常に時代に、市場についていくというフォロワーシップを求められることだと思います。

ここで僕が疑問を感じるのは、それで自己実現できるのか?ということです。市場価値というものを追い求めることは、ともすれば様々な方向へと自分のリソースを振り分けながら変化に対応していくことで、自己実現という1つの方向には向いていないように感じるのです。

自己実現には様々な形があり、市場価値を高めることや時代に合わせて変化する自己を目指している方もいらっしゃると思いますので、一概には言えませんが個人の受ける印象として書かせていただいています。

 

2)スキルはマインドから生まれる

「市場価値」と同じことが「スキル」にも言えると考えています。スキルを身に着けることは目的ではなく、手段です。このような仕事がしたい、こういうことを成し遂げたい、そういう目的に対して手段として○○が出来るという「スキル」が価値を発揮します。

また、目的があるとき、スキルは自然と身についてくるように感じます。こういう夢をかなえたい、大事にしたいものがあるからこそこういうポジションに就きたいという強い目的があるとき、人はすごい力を発揮します。当の本人はスキルを身に着けているという自覚はないと思いますが、がむしゃらに目の前のことに向き合って考えていくことで自然とスキルが身に付き、知らぬ間に目的に迫っているという状況を自分自身も経験しましたし、他の人でも何度も見てきました。

僕の話で言えば、途上国の現場で仕事がしたい、現場で目の前の人と人間として関われる仕事がしたいという強い目的をもってマザーハウスに入りました。しかし、日々の業務は基本的に店舗で商品を販売する店舗スタッフの仕事で、目的とする仕事とは大きく異なる環境でした。その中でも大きな目的を見失わず、現地スタッフと関われるチャンスを逃さない、新たなチャレンジを継続していくというアクションを続けた結果、2か月ほどの長期出張を任されることになりました。そのがむしゃらに頑張っていた過程で、その時には全く気付いていなかったのですが、店舗運営のノウハウや織物に関する知識、実務、コミュニケーションのための英語力等様々なスキルが身についていました。

このことを振り返ってみると、最も大切だったことは

・自分のオリジナルな目的をしっかりと持てたこと

・それに対して頑張る過程の意義を理解し、がむしゃらに頑張ることが出来たこと

の2点だったと思います。つまり仕事に対してのマインドをしっかりと作れたことが結果としてスキルを身に着けることにつながったのです。

 

3)マインドが価値になる

このような流れで僕はマインドの価値に気付きました。現代の仕事の現場ではどちらかというとスキルの方が重視されているように感じます。自分はスキルがないから、、、という言葉を何度も耳にしますし、それで自らの目指す夢や目標の範囲を狭めてしまっている人が非常に多いとも感じています。

僕は普段決して堀江さんの信者ではないのですが笑

以下の本には非常に共感しています。

ハッタリの流儀

堀江さんの意図していることとは少し異なるかもしれませんが、自らのマインドをしっかりと作り、仕事に取り組んでいくことでスキルや影響力、価値といった付随するものはどんどんとついてくるという考え方は大枠同じなのではないかと考えています。

だからこそ、これからの時代はスキルや市場価値よりもマインドをまず考える時代になっていくのではないかと考えています。特に現代社会は変化が早く、複雑なVUCAの時代と言われています。だからこそ現在という1つの物差しでスキルや市場価値をとらえるのではなく、マインドという目的意識をしっかりともち、大きな方向性をもって進んでいくことが重要になっていくのではないでしょうか。

 

何のために仕事をしていますか?

何が成し遂げたいことですか?

何を大事にしていますか?

何のために頑張っていますか?

こういうことを考えていった先に、しっかりとしたマインドが出来あがり、それがスキルや市場価値といったものを内包した、現代社会における「価値」となると予想します。皆さんも目の前の仕事から少し離れて、大きな目的意識を考えてみてはいかがでしょうか。少しでも視野が開ける気がしてもらえたら嬉しいです。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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カンボジア・スラム街調査報告

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こんにちは、杉谷遼です。

今回は8月に行わせていただいた、Polcaでの寄付募集による調査の結果報告になります。

こちらは調査の資金調達に協力していただいた方限定の記事になりますので、polcaの方でURLをシェアさせて頂きました。

(ご支援いただいた方は以下のURLではなくpolcaの方で共有されているURLからご覧ください。無料でご覧いただけます。)

 

※ご支援いただいていない方でも、以下のURLから記事の一部をご覧いただけます。全文は有料での公開とさせていただいています。

https://note.mu/ryoh0614/n/n58289cdc4338

 

ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。

個人的にも非常に有意義な調査となり、今後の活動においても重要な示唆が得られた機会となりました。次回は今期あの調査を受けて、どのような解決策を講じるかという部分で踏み込んだ調査、仮説検証となるかと思いますので、引き続きご協力いただけたらと思います。

今後ともブログ、SNSでの発信を継続していきます。

 

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