杉谷遼 活動ブログ:世界をより良い場所にするために

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ソーシャルから「ソーシャル」へ

 

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こんにちは。杉谷遼です。

前回に引き続き、ソーシャルビジネスに関する3連続記事の2記事目になります。

前回は社会や環境といった他者に配慮しながら、自己の利益追求を続けることは非常に面倒だが、それを乗り越えることで価値が生まれるということを書きましたが、今回はさらに遡って、ソーシャルとは何か?というそもそもの部分について個人の意見を書いていこうと思います。

 

目次

1)ソーシャルの魔力

2)ソーシャルは「正しい」のか

3)ソーシャルから「ソーシャル」へ

 

1)ソーシャルの魔力

Social=社会性と訳されますが、現在この言葉は主に、利益追求やビジネスという言葉とは対極にある言葉として使われることが多くなっています。

社会や環境に配慮すること、ビジネスでは今まで扱われてこなかった利益につながらないようなことをソーシャルと呼んでいます。そのため、NPONGOはソーシャルセクターと言われたり、社会性に配慮しながら利益追求するビジネスをソーシャルビジネスと呼んでいます。

僕はこのソーシャルという言葉の使われ方に疑問を感じています。

例えば、自動車を製造し販売することはソーシャルではないのでしょうか?チェーン展開でサラリーマンの昼食を支える牛丼屋はソーシャルではないのでしょうか?

社会性という意味であるならば、自動車は人々の移動を支え、特に都市部以外ではメインの移動手段として人々の生活の支えになっていますし、牛丼屋は幅広い人々に安くておいしいご飯を提供し、時間の節約と多くの人の空腹を満たすことで生活を支えています。これは立派な社会性だと僕は感じています。

では、なぜこのような事業はソーシャルと呼ばれないのでしょうか。

おそらく、多くの人の頭の中でソーシャルというのは「お金にはならないが倫理的に必要なこと」という認識があるからではないでしょうか。

ここで重要なことは「倫理的に必要なこと」と認識されていることです。

例えば飢餓に苦しむ途上国の子供のために募金を、という事業は明らかに社会的で倫理的に必要なことだと認識されているでしょう。しかしそこにソーシャルの魔力とも呼ぶべきものがあります。

 

2)ソーシャルは「正しい」のか

「魔力」と呼んでいるのは、昨今のソーシャル絶対主義のようなものがソーシャルという言葉を絶対善のように扱っているからです。簡単に言えば、社会や環境に配慮するものがすべて正しいという考え方です。

例えば、(極端な例とは思いますが)コンビニエンスストアは身近な存在で、簡単にアクセスできるためにイスラム教徒の食事の問題に配慮して、食べることの出来るハラルフードを全てのコンビニエンスストアに置くことを求めることは正しいのでしょうか。

僕はこれに対して違うと答えたいです。

ソーシャルであることは素晴らしいことです。しかし、ソーシャルだからという理由で全ての要求に対して答える必要はないと思っています。

先の例であれば、ハラル認証のコストや独自商品の開発といったコストに対して、イスラム教徒への売り上げが見込めるのであれば実施するべきだとは思いますが、それは各社の経営判断です。

つまり、ソーシャルだから「正しい」のではなく、ソーシャルであることによって「価値」が生めるから正しいのです。

このことをはき違えてしまうと、ソーシャルという言葉は暴走してしまい、何でもかんでもソーシャルの名のもとに話が進み、社会全体で大きなコストを背負うことになります。ソーシャルだから倫理的に正しいことだと話を進める前に、そのソーシャルによってどのような価値が生まれ、どのようなコストがかかるのか、ビジネスで言えば当たり前の経済性の議論が必須だと思います。

 

3)ソーシャルから「ソーシャル」へ

だからこそ僕はソーシャルという言葉を、「お金にはならないが倫理的に必要なこと」として認識してほしくはありません。

僕の考えるソーシャルとは「お金にはならないかもしれないが、社会に配慮することで新しい価値を生むこと」だと考えています。だから、この文脈では「ソーシャル」もビジネスも、価値を生む行為として同じものだと考えています。ただ、「ソーシャル」は社会性に配慮することで、従来のビジネスでは生み出すことの出来なかった価値を新しく生み出すから、昨今注目されているということだと考えています。その一点のみでしか「ソーシャル」とビジネスは異なりません。だからそもそもソーシャルとビジネスを対極の概念として捉えること自体がナンセンスなんです。

ソーシャルの魔力から逃れ、新しい価値を生み出す「ソーシャル」が注目されることで、資本主義社会の今抱えている停滞感は少し解消されるのではないでしょうか。

生み出される新しい価値という視点でぜひ身の回りのNPONGOやソーシャルビジネスを見てもらえるとまた見える景色も変わってくるのではないかと思います。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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