杉谷遼 活動ブログ:世界をより良い場所にするために

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「優しい」ことは「面倒」だ

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(カンボジア・シルクの手織りストールの生産者、途方も無い作業だからこそ製品は価値のある輝きを得る)

 

こんにちは。杉谷遼です。

今回から3回連続でソーシャルビジネスについての記事を書こうと思います。

今回は僕が日々の仕事、ソーシャルビジネスというものを通して感じている、「優しくある」ことには非常に大きな負荷がかかっているということ、そしてその負荷を乗り越えていくことに価値があるということについて書こうと思います。

 

目次

1)他人を思うことは難しい

2)結局ビジネスは社会を歪ませている

3)面倒なことをやり抜くことに意味がある

 

1)他人を思うことは難しい

ありきたりな場面ですが、電車で老人が前に立ったら皆さんはどうしますか?道徳的に席を譲るべきだということは多くの方が認識しているのではないでしょうか。

それでは、もし徹夜の仕事明けで体調も厳しく座っていたい場合はどうでしょうか。それでも譲るという方は本当に素晴らしいと思います。僕自身の場合、譲ろうとは思うものの譲れる自信はありません。

なぜならば、結局は自分が大事だからです。家族なら、命を懸けても守りたい人なら別かもしれませんが、見ず知らずの老人よりも疲れ果てて今にも死にそうな自分の方が大事です。

みなさん全員がそうとは言えないと思いますが、多くの人が僕と同じなのではないかと思っています。他人を気遣えるのは自分に余裕があるときで、自分自身に余裕がないときは他人のことを思うことができない。これは当たり前のことなんだと思います。

目の前に立つ老人にに対してすらそうなのですから、どこか遠くの人や顔も知らない誰かのことを思うことはより一層難しいことだと思います。

 

2)結局ビジネスは社会を歪ませている

そんな他人を思うことの難しさはビジネスの世界で一番痛感します。世間では大企業を中心に、利益追求だけでなく社会性を大事にしようという大きな流行があります。SDGsの認知の広まりもあり、企業は社会や環境のことを無視できない状況にあるため、このような流れが生まれています。しかし、本当に社会や環境といった他人を思いながら事業が出来ているのでしょうか。

以前Twitter上で議論になっていた、JR駅中での自販機のサブスクリプションの話題を紹介します。

ニュース記事は以下

https://www.gizmodo.jp/2019/08/subscription-beverage.html

JR東日本CSR

https://www.jreast.co.jp/company/csr/

今回議論になっていたのは、JR東日本CSRとして、環境、社会に関しても配慮した経営をしますということを掲げているにもかかわらず、全世界的に環境問題の懸念から使用を控える動きが主流のペットボトルの使用を加速させるような経営判断をしたことです。

この記事を見たときに、ビジネスの世界では他人を思うことが本当に難しいということを実感しました。ここまでCSRや社会性というものを大切にということが言われている時代で、思いっきり真逆のことが出来てしまう。それがビジネスの利益追求の本性なのではないかと感じました。

食うか食われるかの世界とよく言いますが、利益を追い求めることは、今の利益を守ることも含みます。いつどっちが奪うか奪われるかわからない状況で、他人を思うことは難しいのでしょう。だからこそ大企業がここまで社会性というものが大事ということを叫んでも、ビジネスの性質上、資本主義の性質上、社会は歪んでいってしまうのだと思います。

 

3)面倒なことをやり抜くことに意味がある

ビジネスの世界では他人を思うこと、社会性を保ち続けることは非常に大きな負荷になります。例えば、途上国の工場で生産をしているファストファッションの某ブランドはCSRとして、現地で働く人々の労働環境への配慮を掲げています。この点で、マザーハウスとこの某ブランドは掲げていることは同じです。

しかし、本当に現地で働く人々の労働環境に配慮するのであれば、商品自体を安くすることは難しくなりますし、大量に生産することも難しくなります。もちろんですがそれを我々消費者は良しとしません。結局、ある程度生産者の賃金や労働環境を下げてでも安く大量に消費者に商品を提供することがビジネスとして大切になってしまいます。

ビジネスにおいて他人を思うことは負荷なんです。社会性を維持することは大きなコストがかかるんです。「優しい」ことは「面倒」なんです

しかし、マザーハウスはそれを諦めていません。前回紹介した「サードウェイ」でも書かれているように、大量の生産注文に対して休日出勤で乗り切った現地工場にすぐに出向いて叱責し、日本側も現地側もこのようなことが2度とないようにすると約束したというエピソードもあります。

その分マザーハウスでは、輸送コストを減らしたり、値段が高くなっても買っていただけるように接客力の向上を目指したりと様々な工夫をしながら、「面倒」なことを続けています。それが段々と認められ、今のマザーハウスがあります。

社会性との両立という面倒な道に向かい合ってきたからこそ、それを乗り越えるための努力や工夫が今となってはマザーハウスの価値となっています。

その意味で、ソーシャルビジネスは「面倒」なんだと思います。でもその「面倒」さを乗り越えたところに、今の資本主義社会の中では出てこないような新しい価値が生まれるのだと信じています。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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