杉谷遼 活動ブログ:世界をより良い場所にするために

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文化という思考停止をやめよう

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(カンボジア・川辺のスラムと対岸に見えるプノンペンの都市)

 

こんにちは。杉谷遼です。

今回は、国際協力の場面で僕が良く耳にする、「そういう文化だから」、「そういう慣習だから」といった文化や慣習という言葉に関して考えていることを書こうと思います。

 

目次

1)文化という言葉で片付けることの危うさ

2)文化を創り出したのは人間

3)文化の裏に潜む本質を見よう

 

1)文化という言葉で片付ける危うさ

僕は国際協力に関する議論の場面で、よく「そういう文化だから」という言葉を耳にします。そのたびにどこか気持ちの悪い、納得しそうでしていないような気分になります。

例えばある東南アジアの国でビジネスをしている方の相談を受けたとき、現地の従業員がよく休むのに困っているが、向こうの人はそういう文化だから仕方ない、といったことを聞きました。現地の従業員が仕事をよく休むということはよく聞く話ですが、それを文化という言葉で片付け、それ以上思考を進めないことに僕は一種の危うさを感じています。

この例以外にも、多文化理解、異文化理解ということも広く言われていることですが、多文化、異文化を理解しようということに関しては何も異論がないのですが、文化が異なるということを前提に、自分たちと異なるバックグラウンドを持つ人々をカテゴライズすることは、文化という言葉でのラべリング以上の理解を阻害しているのではないでしょうか。

簡単な言葉にすると、彼ら彼女らと僕たちは違う文化だからそれを認めていきましょうということは、彼ら彼女らを文化が違うから僕たちとは異なる考え方を持っている人だと認識をしようということになっているのではないかということです。これは本当の意味で多文化理解、異文化理解なのでしょうか?本来的にはその人たちのバックグラウンドを理解した上で、なぜ異なる考え方になるのか、なぜ異なる文化を持っているのかを理解することこそが多文化理解、異文化理解なのではないでしょうか

 

2)文化を創り出したのは人間

そもそも当たり前の話ですが、「文化」や「慣習」というものは人間が創り出したものに過ぎません。ということはなぜこの文化が浸透してきたのか、慣習化してきたのかということの裏には、非常に合理的で、納得し得る理由があるはずです。

例えば先の従業員が仕事をよく休むという文化の裏には、仕事に対する熱意<家族との時間共有の大切さという価値基準があり、それは歴史的に家族による互助関係が単独での生活以上に大切にされてきたという事実があるのかもしれません。また、そのような事実も、過去の為政者が人々を家族単位で管理をしたかったために、そのような法律を制定していたといったことが原因にあったかもしれません。

(※以上に述べたことはあくまでも例示であり、事実に基づいているものではありません)

このように、文化や慣習というものはある人間が意図をもって作り出したり、多くの人が合理的だと感じて継続していくことによって成立、浸透していくものです。だからこそ、文化だからという言葉で思考停止するのではなく、その先のなぜその文化が成立したのか、浸透してきたのかという部分まで考えを巡らせて、理解することが本当の意味での異文化理解なのではないでしょうか。

 

3)文化の裏に潜む本質を見よう

文化という言葉で思考停止せずに、その先にある文化浸透の理由まで考えていくことは、非常に本質的だと考えています。

例えば、先の例で現地の従業員がよく休むという問題を文化だからと諦めて付き合っていくよりも、仕事<家族ということが歴史的にしみついているからだという理由まで理解することが出来れば、家族と一緒にいながらでも出来る仕事と会社に来てやって欲しい仕事を分けて伝えることで、休みながらでも生産性をキープすることが出来るかもしれませんし、さらには従業員の家族と食事に行ったりすることでより密な信頼関係が築けるかもしれません。

また、理由まで理解しておくことで、同様の理由で発生する他の事象まで想定できるというメリットもあります。例えば家族優先のため、早く帰りたい、長期で休みが欲しいという申し出が出ることも想定できるため、予め結婚式等の家族の予定を共有してもらったり、朝の段階で今日家族の予定で早退したい人はいないか確認することで、業務量を調整する等の対策を打つことが可能になります。

このように、文化という言葉で思考停止してしまうことは、本当の意味で現地の人びとや異文化の人びとのことを理解することを阻害しており、そこを超えてなぜこの文化が生まれたのか、浸透してきたのかと考えることで、より本質的にその人々のことを理解できるのではないでしょうか。

ぜひ議論をする際など、もう一歩先の本質的な部分に到達するためにも心がけていただければと思います。

 

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。

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