スラム街から見た人々の強さ
こんにちは。杉谷遼です。
前回は国際協力の場面や日常の場面で、人間の行動規範を欲という部分に見て物事の本質を見極めようという抽象的な内容について書きましたが、今回は活動レポートのような形で、実際のスラム街を訪れて感じたことという具体的な内容を書きたいと思います。
目次
1)実際に見たスラム街の姿
2)スラム街の人々の暮らし
3)スラム街の人々の強さ
1)実際に見たスラム街の姿
今回、下記のpolcaで資金をいただき、カンボジアでスラム街の調査を行わせてもらいました。
https://polca.jp/projects/dJNru6hZiZq
(調査自体は終了しましたが、資金調達はまだ継続していますので、ご支援いただけると嬉しいです。)
※polcaに支援いただいた方へお送りする活動レポートと今回の記事は別物になります。事実ベースの話と今後の追加調査も含めて実務的かつ具体的な内容の活動報告をさせていただく予定です。
アジアの最貧国と言われていたカンボジアも首都プノンペンは高層ビルが立ち並び、一見するとバンコクやホー・チ・ミンと大きく変わらないほどの都市化が進んでいます。しかもそのスピードは驚異的でここ2、3年の間に大きく都市化が進められており、プノンペンの風景はガラリと変容しました。この急激な都市化の過程で、土地価格の高騰、再開発のための土地の接収が行われ、主に貧困層の人々が住む土地を追われ、トンレサップ・メコン川の川岸に移動したり、貧困層の家屋と家屋の間の小さなスペースに密集をしてスラム街を形成していました。(冒頭写真のような状態)
スラム街というと貧困層が多く、政府の目も行き届かないため、治安が悪く危険な場所というイメージがありましたが、一度足を踏み入れてみると、子供たちは興味をもって集まり、最初は警戒していた大人達も子供達への対応やこちらの態度を見て安心したのか、徐々に心を開いて案内をしてくれたりとイメージとは大きく異なる空間でした。
また、ある家庭では夕食の最中だったため、ビールを渡され、一緒に食事をしたりと、都市の中ではなかなか感じられない人間の温かみというものがスラム街には残っていると強く感じました。
今回の訪問で改めてスラム街の人々という先入観とラベル化がいかに人々の本質を見極めることを困難にしているか、百聞は一見に如かずという言葉の重みを実感しました。
2)スラム街の人々の暮らし
今回の調査では主に家庭訪問とインタビューをしながら、スラム街の人々の生活を描き出すことが目的でした。その過程で見えてきた1つの家庭の暮らしを紹介したいと思います。
彼らは夫婦を中心にその兄弟、子供を合わせて8人が1つの家で暮らしており、主に家の近くでの農業で生計を立てていました。他にもTukTukドライバーをやったりと副収入を得ながら生活していました。稼ぎは少ないですが、子供達は全員学校に通っており、また生活に必要な冷蔵庫や、テレビもお金を貯めて買うことができ、さらにはBluetoothで繋げるスピーカーとマイクまで持っており、夕食どきにはカラオケを楽しんでいました。スマホは幼い子供を除いて1人1台が基本で、Youtubeで動画を見たり、SNS、ゲームで遊ぶのは当たり前というのが現状でした。
貧困層であることには間違い無いのですが、都市での労働賃金が上昇していることで、以前よりも暮らし向きは安定してきており、子供達も学校に行かせられていることから、将来に対する不安はほとんどありませんでした。
3)スラム街の人々の強さ
今回の調査で現状のスラム街の人々の生活に触れて、暮らし向きが安定していること、そして将来に対して希望を持てていることがわかった一方、この生活までに行き着く過程を想像してしまいました。
もともと住んでいた土地は中国資本の高層マンション建設のために接収され、新しく住む土地を探さざるを得なかったこと。そして見つけた土地は家族の規模に対して非常に狭く、建材等も徐々に集めながら、試行錯誤しながら苦労をしてなんとか家を建てたこと。家族の暮らし向きを良くするために、しっかりとお金を貯めて家電を買ったり、子供達が安心して教育を受けられるような家庭環境を作り上げてきたこと。
そんな苦労の連続で、現状のような一息つけるような生活を送ることが出来ているのだなと感じ、スラム街の人々の生きる力を強く感じました。
今、日本に住む僕たちはたしかに豊かな暮らしをしています。しかし、それは社会という大きな枠組みに守られているからこその豊かな暮らしではないでしょうか。
経済の成長とともに社会は僕たちの暮らしをより安定したものになるようにサポートしてくれます。その一方で、僕たちは逆境に、困難に陥ったときにそれを切り開いていく生きる強さを失っていっているのではないでしょうか。
暮らしが豊かに、便利になればなるほど、僕たち個人の生きるための強さというものは失われているのではないでしょうか。
そんな考えが今回のスラム街調査で心に残りました。
国際協力の活動をする上で僕がとても大事にしている視点の1つに「自分だったら出来るだろうか、こうなれるだろうか」という視点があります。この視点で見ると支援対象の人々に対するリスペクトを保ち続けることが出来るからです。
今回のスラム街調査で強く感じたことはまさにこの視点で、自分にはこんなに生きる強さはないと感じたからこそ心に残ったことなのだと思います。
このリスペクトの気持ちを忘れずに、その中で彼らのために何が出来るのか、より確度の高い仮説を構築しながら、活動を継続していこうと思います。
今回も記事を読んでいただきありがとうございました。
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